ショッピングモールでの地方営業でのこと。
「ほら―、髭男爵さんだよー?」
僕の目の前で尻込みしているのは、幼稚園の年中さんくらいの男の子。
見れば、その表情は怯え、一刻も早くこの場から逃げ出したいといった風情である。
しかし、背中をグイグイと押す実の母親によって彼の退路は断たれていた。
冒頭の台詞に、
「この子が大ファンで―!」
と続ける母親。
(いや、嘘つけ!)
ツッコみたいのを、グッと我慢しつつ、
「ありがとね―、こんにちは―!」
物腰柔らかく応対するも、何しろ当方体重130キロ、髭面の大男。
精一杯の猫撫で声も、あまり効果は無い。
何より五歳の子供は、"髭男爵"のことなど知らぬ。
人間、"知らない"というのが一番怖い。
「ほらー?○○ちゃん?"握手して下さーい"って!?」
「ちゃんと言わなきゃ駄目だよ―!?」
と促す母親に、
(いや、お前が言え!!)
勿論、口には出さない。
苛酷な状況は、ほどなく小さな子供のキャパをオーバーし、
「いや――――――――――!(握手)したくな―――い!!」
と男の子が泣き叫ぶ。
阿鼻叫喚の地獄絵図の出現である。
結局、サインも写真も何一つ叶わず、気まずい空気だけ残して去ってゆく親子。
傍目には、僕が泣かしたようにも見え、周囲の人々はニヤニヤとしている。
居た堪れない。
どうか、お願いである。
“一発屋”を使って、子供に社会経験を積ませようとするのはやめて頂きたいのだ。
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