数年前。

とある会社の社員旅行。

豪華客船での一泊二日の船旅に同行した。

ディナーショーの余興のステージを、女性モノマネ歌手、催眠術師、そして我々、髭男爵で務める。

当然、我々も船上で一泊である。

訊けば船は貸し切りだそうな。

景気の良い話である。

 

寝付けず、船のラウンジで一人酒を飲んでいると、少し離れたボックス席が何やら騒がしい。

「本当に、ウサギになったー!ウケるーー!!」

先程までステージを観ていた社員の方々。

その中心には、社長がおり、傍には先述の催眠術師の姿も。

彼の仕業だろう。

見れば確かに大きなウサギが、人参を追っかけて、床の上をピョンピョン跳ねている。

人参は、棒状になったおしぼり。

ウサギは…我が相方である。

社長に誘われ打ち上げに参加し?そこを催眠術師の餌食にされたのか。

逃げ場のない船上の弊害である。

仕事は既に終わったのに御苦労なことだ。

(あーあーあーー…)

僕は傍観を決め込んだ。

巻き込まれたくはない。

そこへやって来た、経緯を知らぬ数人の女子社員。

「わー、ひぐち君だー!一緒に写真撮って良いですか!?」

ウサギ…もとい、相方に声を掛けた。

 

次の瞬間、気さくなうさぎは、すっくと立ち上がり、彼女達と肩を組んでピースサインで写真に収まると、

「ありがと―ございますー!!」

満足して去っていく女子社員達を尻目に、何事もなかったかのように、再びピョンピョン跳ね出し、おしぼりを追いかけはじめた。

 

「…あれ?」

場には白けた空気が流れ、気まずくなった催眠術師は部屋に戻る。

しかし、誰も悪くはない。

"お笑い芸人"ならいつ何時でも"かかってくれる"という思い込み…謂わば、自己暗示にかかっていたのは、誰あろう、催眠術師の方である。

そして、いかに気まずくなろうが、船の上では逃げ場はない。

僕はその場をそっと離れた。


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