家族でよく行く店がある。まあ、“行きつけ”と言って差支えないだろう。

独立したてのまだ若い大将が板場に立ち、アルバイトの可愛らしい女の子が何人か。

小さな店だが、旨い魚を食わすと近所では評判の小料理屋である・・・が、その店の紹介をしたいわけでは勿論ない。

そっちのブログの方が人気が出そうだが。

一年ほど前だったろうか。

その日は、家族三人で外食する約束をしていた。

余談になるが、妻は刺身や珍味といった、“冷たいもの”が好物で、そういうものばかり注文するので、外食の際はいつも凍えそうになり気が重い。

僕は仕事で、妻と娘は昼間は、“ママ友”達と水族館に遊びに行く予定があるという。

それぞれ予定が終わり次第、件の店に集合しようということになった。

仕事が思いのほかサクッと終わり、約束の時間よりだいぶ早く店に到着したので、僕は一人、瓶ビールを注文し、つきだしをつまみにちびちび飲んでいた。

妻と娘が到着するには、まだ時間がある。

夕刻を少し過ぎたくらいの、まだ“小料理屋”としては早い時間帯だったせいか、店内の客の姿はまばらで、カウンターに一人、何度か見かけたことのある、品の良い、常連の老人がいる他は、僕と、僕の隣の席の家族連れが一組。それだけだった。

カウンター以外は、掘りごたつ式の座敷席。

僕と、先程の家族が陣取っており、お互いの間は簾で仕切ってあった。

仕切ってあるといっても、簾なので、隣席の客の姿こそ見えないが、声や雰囲気ははっきりと伝わってくる。

まだ若い夫婦、そして小さな男の子の三人家族。

男の子は、僕の娘より少し年長のようだった。

聞こえてくる会話から察するに、どうやら、その男の子、彼らの息子は、幼稚園の“お受験”を控える身。

“お教室”の帰りらしく、三人ともかしこまった格好をしていた。

店に入る時に、チラッと見えた彼らは、父親はスーツ、母親も黒を基調としたシックな装い、子供にいたっては七五三のようないでたち。

今日は、親子交えての本番さながらの“実践的なテスト”が、“お教室”で行われたようで、その出来がどうもあまり良くなかったらしい。

ここまで詳しく書くと、「隣席の人達の会話を盗み聞きして、なんて失礼な人だ」とお叱りをうけそうだが、聞き耳をたてずとも勝手に聞こえてくるのだ。

何なら店中の人間に。

なので、こちらに罪はない。むしろ迷惑である。僕以外の人にとっては。

“お受験”・・・テレビドラマで見聞きしたことはあったが、“実物”を見たことがなかったので、僕は、

「実在するんだな~・・・こういう人達!」

と興味をひかれた。

あんなものは、「熱血教師」とか、「秋葉原の典型的なオタク像」とかと一緒で、想像力の乏しいやっつけ仕事の脚本家が、考えなしに惰性で描く、いわば“妖怪の一種”くらいにしか思っていなかったのだが、それが今、現実に隣の席に存在しているのである。

とにかく、その家族の会話は店中に響いていた。

母親の剣幕は物凄く、大きな声でまだ小さな息子をどなり散らしていた。

ほとんど半狂乱。彼女のその悔しさが簾越しに伝わってくる。

時折、さすがに公衆の面前での声量、あるいは、内容ではないと思ったのか、父親が、「まあまあ、ちょっと今はやめとこう!家帰ってから話そうよ!○○(息子の名前)も次頑張るよな!?」ととりなしても、

「普段からこの子の世話したり、将来考えてるのはあたしなんだから!こんな時だけ格好つけて口出さないで!!」と、ドラマさながらに夫をやりこめ、あえなく彼は沈黙した。

細々と描写してもキリがないので、以下、その母親の発言を僕の記憶から抜粋する。

「もっと“丸”を使って何か書けるようにしなさい!」

どうも、テストの答案用紙かなにかを、テーブルの上に広げて説教しているようで、想像するに、テスト用紙には「○」が一つ描いてあり、それに自由に色々付け足して何かの絵にしなさいという課題らしい。

子供の“創造力”を試すといったお題目に基づいているのだろう。

「丸だと“切り株”だって描けたよね?」

「丸だったら、色々あるでしょ・・・“果物”だったら?○○君も好きでしょ?ほら!!」

すると男の子が、

「・・リンゴ!」

受けて母親、

「そう!!・・・でもリンゴじゃ駄目!!」

何の罠だ。

「それだと誰でも思い付くでしょ?“お試験”は通らない!!」

賽ノ河原で、子供が石を積んで塔をつくっている。河原の石のこと、形もまちまちでなかなか難しい。苦労してやっと完成だ・・・その時、鬼がやって来て塔を壊す。また最初からだ・・・そんな光景が、同じく「リンゴ!」と心の中で叫んだ僕の頭をよぎった。

店の大将がその家族に、「お店からのサービスです」と言って、皮肉たっぷりに“リンゴ”を持ってこないか。この“鬼母”をギャフンと言わしてくれ・・・切に願ってみたが、そんなことは起こらない。

「もう何か月もやってきたのに!」

「“お試験”ではどう描いたの!?」

「ママのお話ちゃんと聞いてるの?」

五月蠅い女だ。

「もういい!・・・折角、ママがお耳つけて産んであげたのに、ママの言うこと聞けないならもう知らない!」

聞くに堪えない。息子も今ほど「耳など要らない・・・」と思ったことはないだろう。

「“長い丸”はどうしたの?なんで描かなかったの?“ねこさん”にだって、“飛行機”にだってできるでしょ!?ちゃんと練習したでしょ!」

“創造性”を練習していいものなのか。“長い丸”。知らんがな。うんこやうんこ。うんこでえーよ。

「“長い丸”はなににできる?」

母親の再三にわたる詰問に、すでにしくしくと泣いていた男の子はやけになったのか答えた。

「うんこ!!」

・・・“簾”など結局何も遮ってくれないのだ。

母親の非常識な音量の怒声も、男の子の悲しみも、そして横でビールを飲んでいるコスプレキャラ芸人のおじさんの心の声も。

不幸にも、僕とシンクロしてしまったかわいそうな男の子に、

「もう明日から毎日三時間お勉強しなさい!」

母親はそう言い渡した。

「○」の勉強を?そんなしょうもないことを三時間もするなら、穴掘って、穴埋めてを繰り返す、ドストエフスキーか誰かが言っていた苦行でもやっていた方がよっぽど健全である。

「なんでこんなのが出来なかったの?ママもうやだ!帰る!」

僕を含め、店中の人間が「帰れ!」と思ったろう。

しかし、母親が帰ったのは、“ウニの釜めし”を注文し、それをたいらげてからだった。

“お受験”は否定しないが、“丸”をどうこう出来ることが、子供を選別する基準だというセンスの学校に、自分の娘を入れたいとは全く思わない。

そんなことが子供の“創造力”につながると信じている人間こそ、“想像力”が欠けているとしか言いようがないのである。

しばらくしてやってきた僕の娘に、手帳に“細長い丸”を描いて見せたら、

「しゃぶしゃぶおにくーーー!!!」と言った。

“豚しゃぶ”を我が家でする時、そういう形のぴらぴらの豚肉をよく目にするからだろう・・・それでいい。



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