“サイン”をするのが本当に苦手である。いや、もはや“嫌”の領域だ。
こんな風に書くと、
「お前のサインなんか別に欲しくないわ!!」・・・そう噛み付いてくる輩が必ず出てくるのだが、僕の経験上、その蓄積された膨大な「サイン下さい!!」の瞬間の相手の人物像、印象のデータから導き出される結論は・・・“否”である。
いやいや、むしろ、そういう発言をするタイプの人間の方が、いざ、生の“タレント”を目の前にした時、九割がた、「サイン下さい!」とか言い出す傾向にある。
“有名人”や“芸能人”というような存在に対して、“噛み付いてくる人種”と、“熱烈に応援している人種”というのは、ベクトルが真逆なだけで、要するに、“ミーハー”であることに変わりはない。
本質は同じである。
何故、サインをするのが嫌なのか。理由はいくつかある。
まず自分がサインをしている姿を、僕に全く興味がない人間が目撃した場合、「うわっ・・・あいつごときがスターぶってサインとかしてるわ・・・」と思われかねない。そんなお寒いことになる危険を犯したくない。
そもそもこちらは、「サインを下さい!」と来てくれた方々に対して、「本当に俺なんかのサインが欲しいのか?」と、簡単には鵜呑みに出来ない人間なのだから始末が悪い。
もし、“大ファン”とかではなく、「なんとなく欲しい・・・」くらいの気持ちの人に、その気になってほいほいサインなど書こうものなら、結果、恥をかくのはこちらなのだ。
大体が、そんなに気軽に、「サイン下さい!!」と、なんの躊躇もなく駆け寄って来られるそういう存在である時点で、こちらに対する憧れや、興奮や、感激は感じ取れない。
本当にファンなら、手が強張り、足が震え、声が上擦るはずである。
が、僕の前に来る方々は、皆そこそこリラックス出来ている。アスリートなら良い結果を出すだろう。
願わくば、緊張でガチガチになっている相手にこそ、サインをしたいのである。
そういう“熱”というか、“気持ち”を配達してもらった、受け取りの証明・・・それが“サイン”だ。
受け取ってもないのに、サインしたならば、それはある意味もう、詐欺事件だ。
知らんけど。
「いや~!うちの娘が大ファンなんですよ!サイン下さい!」
これも多いが、納得がいかない。十中八九嘘だ。少なくとも僕はそう思ってしまう。
大体が、娘でも息子でも、親戚の子でもなんでもいいが、何故、「自分がファンなんです!」と言えないのか。
勿論、まれに本当に娘さんや息子さんがファンで、かわりにサインを・・・というケースがないわけでもないだろうが。
その場合でも、「自分がファンです!」と言うべきだ。
最悪、「息子“も”大ファンで・・・」でいいじゃないか。
とにかく、どうせなら気持ち良くサインさせて欲しい。
こちらは長年色んな意味で人の顔色をうかがってきたその道のプロ。
僕を誤魔化すことなどほとんど不可能なのである。
大体、「子供が・・・」のところで、顔面の筋肉がひきつるところを度々見せられる。気まずい。
髭男爵のファンであることを“背負う”のが恥ずかしいのだろうか。
そして何より、その程度の技術で、こちらを騙せると思われているのも見くびられているようで気分が悪い。
この「自分が欲しがっているわけじゃない」という逃げのロジックを披露されると、途端に書く気が失せる。
もっと一生懸命、いかに好きかを言う義務があると思う。
恐ろしいのが、本当に急いでいて時間がない時、「帰りの新幹線の時間があるからどうしても書けない・・・本当にごめんなさい・・・」
“お伊勢のうどん”顔負けの柔らかな物腰で丁寧に対応しても、あとで、「態度悪かった!売れないわけだ!」とかネットに書く輩がいるのである。
よっぽど、その大層な自尊心が傷ついたのか。
君こそがスターだ。
僕の経験上、一般人の方がよっぽどプライドは高い。
とにかく、「そんなに興味ないけど、せっかく会ったから貰っとくか・・・」という、ティッシュを配っていたら逐一貰わないと“損”をしたと感じるような部類の人間。
折角貰えるのなら・・・“折角”でサインを求めては駄目なのだ。
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