当日。
男女合わせて六人ほどの子供達が山田家に集結した。
みんなで作業をし、ヘンゼルとグレーテルの人形もほぼほぼ出来上がった。さあ、ちょっと休憩にしよう。
僕は、さもこれが我が家のスタンダード、日常だという雰囲気で、お菓子とジュースをお盆に載せて、皆に提供した。
一番お菓子に飢えており、貪り食いたいのは、他ならぬ僕であったが、我慢してみんなに勧めた。
全ては順調だった。
その時、弟が部屋に入ってきた。当時彼は、おそらく、三歳になっていないくらいの歳だったと思う。
弟はヨタヨタと、満面の笑みを浮かべ僕達に近寄ってきた。
人が沢山いるのを見て、興奮していたのだろう。彼に罪はない。
そして、僕達が食べていた、お菓子やらジュースやらを発見し、コップをなぎ倒しながら、お菓子を鷲掴みにしたのである。
こぼれたジュースで畳はビチョビチョ。おまけに彼の手は、涎まみれで、その手に掴まれたお菓子達は、もう子供達の食欲をそそるような状態ではなくなってしまった。
僕は、折角苦労して用意したものが台無しにされ、友達の前で酷く恥をかかされたと感じ、反射的に弟に怒鳴っていた。
火がついたように泣きだす弟。修羅場である。
しかし、友人達は、「まあまあ」と僕をなだめたり、女の子なんかは、弟をあやし始めたりして気を遣ってくれていた。大人だ。
本当の修羅場はこの後にやってくる。
弟の泣き声を聞きつけた母が、「何事か!!」と僕たちがいる部屋に飛び込んできた。
サッと周りを一瞥し、彼女なりに状況を把握したのだろう、有無も言わさず、かつ、周りの友達が母のあまりの剣幕にドン引きしているのにもかまわず、
「順三!!なに泣かしてんの!!アホタレ!!」
そうヒステリックに叫びながら、僕たちの苦労の結晶であるヘンゼルとグレーテルを無造作に拾い上げ、それで僕を引っぱたいた・・・というか、袈裟斬りの要領で斬りつけた。
避けようとした僕も悪かったのだろうが、運悪く、人形の裏面に貼りつけた、“持つ所”の割り箸の部分が、僕の瞼をかすめた。
痛みはそんなに感じなかったが、その割にどういうわけか結構な量の血が出た。
畳の上に置いていた、背景に使う画用紙に血が数滴飛び散った。
あとで「お菓子の家」を描こうとしていたヤツである。
「かわいそうに・・・」と弟を気遣いながら母は部屋から出て行った。
あとには、能面のように無表情になった友人達と、泣きじゃくる僕だけが残った。
文字通り、“血の涙”を流しながら。
念のために言っておくが、傷は大したことはなかった。
気まずさに耐え切れず、くしゃくしゃになったヘンゼルとグレーテル、その他諸々を持って友人達は無言で帰っていった。
一人の女子だけが、「○○君ちでやるから・・・」と僕に声をかけてくれたが、僕は全ての“おもてなし計画”が水泡に帰し、友達の前でみっともなく泣かされたショックで何も返事が出来なかった。
それ以来、僕が友達を家に招いたことはない。最初で最後だった。
この件は、「やまっちのオカンが、ヘンゼルとグレーテルで、やまっちの目玉を突いた!!」という、パッと聞きよく分からないエピソードとなって、その場にいなかった友達の間をも駆け巡った。
そして僕自身も、それから数年間は、母が僕の目玉を、箸で潰しに来たんだという半分事実、半分妄想にとりつかれて過ごした。
勿論全てではないが、このことが結局、母と僕のあまり芳しくない関係性の土台になっていることは間違いない。
とにかく、自分の娘には、こんなしょうもない思いをさせたくない・・・それだけである。
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