ドーベルマンに体当たりされたことがある。

なかなか体験できることではない。

“噛まれた”のではない。“体当たり”である。


“引きこもり生活”につきものなのが、昼間寝て夜中起きるという、「昼夜逆転生活」である。

そもそも、引きこもりながら家族との接触をなるたけ避けようとすると、大邸宅でもない、学校の友達からは“体育倉庫”と揶揄されたこともある狭い我が家のこと、これはかなり難易度の高いゲームとなる。

“平安京エイリアン”や“パックマン”どころの話ではない・・・懐かしい。


結果、家族が寝ている間に活動し、昼間は自分の部屋からは出ない、遅かれ早かれそういうサイクルに落ち着く。

同じ家で生活していながら、自分だけ地球の裏側にいるような生活。


家族とのこともそうだが、何より、昼間起きていると、例え体は家の中にあり、外の世界と遮断、隔離されていても、その娑婆の活気が侵入してくるのを防ぐことは容易ではない。

部屋の窓のわずかな隙間や、空気取りの換気口から、道を行き交う人々の気配、笑い声、学校のチャイムの音・・・それこそ“放射能”のように入り込んできて、それを脳が感知し、結果、自己嫌悪に苛まれることになるのである。


引きこもっている最中の人間のメンタルは、知覚過敏の歯と同じなのである。

ことあるごとに“沁みる”のだ。

とにかく、非常にありきたりな言い方になるが、まさに吸血鬼、ドラキュラのようなライフスタイル。ある意味、当時から伯爵・・・つまり“貴族”だったわけだ。

しょうもない。


こう書くと、「なんて不健康、不健全な生活なんだ!」とか、「悪循環に陥っている!」と断じられそうだが、引きこもっている人間にとって夜は最高なのである。

夜、人々は寝静まり世界は停止する。

頑張っている、前進している人間がいないというのは、人生を立ち止まってしまった人間にとってとてつもない安心感がある。

とりあえず、今は誰も頑張っていない。僕と同じように。


昼間どれだけ学校や会社で、競い、争っていても、夜だけは休戦。


勿論、夜中も頑張っている人間はいる。

だが、昼間に比べれば圧倒的にその数は少ないだろうし、そもそもそんな時間まで“頑張っている”輩には、どのみち勝ち目などない。


そうした“夜”の時間、本を読んだり、当時やっと我が家にやってきたテレビを眺めたり、あとはたまにジョギングをしたりした。


(続く)



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