“天岩戸の神隠れ”・・・とまでは行かないが、僕の六年間に及ぶ引きこもり生活。その最初の時期は、クラスメイトや先生が、どうにかして僕を洞窟、もとい部屋から出そうと試みに、何度か我が家を訪れたことがあった。

僕はそれを“お見舞い”と呼んでいた。

別に病気ではないので、“お見舞い”というのは不適切かもしれないが、いかんせん、彼ら訪問者が漂わせる雰囲気が限りなく“病人”に対するそれだったので、やはり“お見舞い”という表現がしっくりくる。

中には“冷やかし半分”どころか、“冷やかし全開”で“お見舞い”にくるクラスメイトもいた。

人は、他人の不幸で高揚するのだと、僕はその時初めて知った。

自分で言うのも何だが、成績優秀で、運動もよく出来た、“山田君”が、引きこもりとなって、“ドロップアウト”している。

「順三、大丈夫か?頑張れよ!!」・・・人間が人間に、こんなことを言う時、そこには間違いなく優越感が存在する。

自分より下、自分より上手く行ってない人間、そういう相手であればこそ“励ませる”のである。“励まし”は必ず高きから低きに流れるのであって、その逆はあり得ない。


勿論、純粋に僕を心配して来てくれたクラスメイトもいただろうが、いずれにせよ、そういう友人達に対しても、「なんや?点数稼ぎに来たのか?」とか、「俺を笑いに来たのか?」とか、そういう歪んだ受け取り方しかできなかったので、結局のところ同じである。


先生が来ると、たいがい、両親と何やら話した後、僕の部屋にやってきて、「ゆっくり考えて戻ってくればいいから・・・」、「山田君ならすぐに追いつけるから!先生もみんなも待ってるから!」というようなことを告げて帰っていくのが常だった。


そんな中、僕たちの体育の授業を受け持っていたI先生がやってきた。

彼はバレーボール部の顧問をやっていた。バレ―ボールの顧問なのに、“背が小さい”という出オチ的容姿を持つ男だった。

僕の記憶では、おそらく160センチもなかったと思う。

成長期の生徒達のほとんどより小柄な先生だったが、持ち前の体育会系の“ノリ”が生徒達に好評で、熱血教師と皆に慕われていた。


僕は、サッカー部で、彼と会うのは体育の時間だけだったので、そこまで親密でもお馴染みでもなかったのに、何故か先生が我が家にやってきたので、正直戸惑っていた。

先生は、いつもの熱いノリで、気乗りしなくてグズる僕を、半ば強引に外に連れ出した。

先生の車にのって、人気のない、山の中腹の見晴らしのいい丘のような場所に連れだしてくれた。

田舎のことである。少し車を走らせれば、そんな場所は腐るほどあった。


先生は、色々と熱心に語ってくれたが、要約すると、

「なにも勉強だけが人生じゃない!!頑張れ!!」

という趣旨だったと思う。

今まで、我が家に訪れた他の先生は、基本的に、僕が学校に復帰することを前提として話をしていた。

しかし、このI先生は違った。僕に、勉学の道以外にも人生には可能性、道があるんだ・・・そういうのだ。

普通なら、これをキッカケに、事態は動き出すのだろう。

僕はムカついていた。なんなんだこいつはと。


「あっ・・・この人、俺が学歴社会で成功すること、もう諦めてる・・・何勝手に諦めてくれてんねん!!」


そう受け取ったのである。

結果、その先生が来たことで、僕が引きこもりをやめることもなかった。






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