我が家は男三人兄弟で、僕は真ん中、次男である。

すでに書いたが、長男である兄とは20年以上会っていない。

弟とも同程度、随分と長い期間顔を合わせていないが、数年前に電話で、一言二言なら言葉を交わした記憶がある。

兄とはそれもない。



兄は地元の高校を卒業して、すぐに実家を出ていった。

あくまで“偏差値”というものさしで測ればの話だが、特に“良く”も“悪く”もない、いわゆる普通の公立高校である。



五つ離れた兄弟なので、僕が中学受験に成功し、六甲中学に入学したころ、兄は出て行った計算になる。

大学も何校か受験していたようたが、残念ながらその全てに落ちていた。

家を出てからの兄の足跡はなんとなくしか知らない。



大阪で、新聞配達をしながら、大学受験を目指して勉強していたが、それも半年続かず、突然、「競艇選手になりたい!」と言い出した辺りまでは覚えている。

なんでも、選手になるためには、視力が足りない。当時はまだ珍しい、費用も随分とかかる視力回復手術を受けるためにどうしてもお金がいる。

そんな兄からの金の無心の電話を、たまたま僕が親に取り次いだので良く覚えている。

全く必然性のないお金を両親は工面していた。兄に甘かった母が父を説得したようだ。

その試験にも落ち、兄の視力があがっただけという結末までは知っている。

何だそれ。


その後、知り合いを頼って上京して働いている・・・そんな風に両親からは聞いていた。



そんな兄が、僕がまだ、実家で引きこもり生活を過ごしている時、一度ふらりと戻ってきたことがある。

久しぶりに会った兄を見て、僕は驚いた。



鼻と耳にピアスをし、頭は金髪。日焼けサロンにでも通っているのか、肌はこんがりテカテカに黒くなっており、着ている洋服も、正確には思い出せないが、なにせ“チャラ”くなっていた。

地元にいた時も、それなりにやんちゃな感じの風貌であったが、しかし、それはあくまで、田舎の高校生が出来る範囲の、見よう見まねの“不良”、“ヤンキー”、あるいは“それ風”のレベルだった。



そもそも、兄は非常に“染まりやすい”、ミ―ハ―な性質だったようで、例えば、「ビーバップハイスクール」という不良漫画が流行れば、頭に剃りこみを入れ、“ボンタン”の学生服のズボンを履いたりといった具合である。



とにかく、“街金”の舎弟のチンピラか、AV男優のような風体になって帰ってきた兄に、僕のみならず、他の家族もさぞかし困惑したに違いない。



驚くと同時に、兄の変貌ぶりが滑稽で僕は笑ってしまった。

「人間ってこんなにも染まるものなのか」と。

“ビゲン”なんて目じゃない。

「まあ~!綺麗に染めはって~!!」・・・白髪が悩みのおばちゃんなら、そう言うだろう。



さらに、理由は良く分からないが、彼は何故か意気揚々とした雰囲気を漂わせていた。

特に、何かに成功したとか、そんなこともない。実際、職場をクビになり、食べるのに困って帰って来ていた。



なのに、“凱旋”、“故郷に錦を飾る”と言った面持ちをしていた。

これが“上京”のなせるワザなのか。

そら、その昔、コロンブスやマゼランが、民衆に持て囃されたはずである。僕は別に兄を持て囃してはいなかったが。

実家を出る前と帰ってきた時とで、少なくとも僕の中では兄の価値は変わっていない。むしろ下がっている。

ただ東京に行ったというだけである。



東京の空気感を、兵庫の田舎、地元に持って帰って来て、その“差額”で偉ぶっているだけである。

楽な商売だ。差額で儲ける商売にロクなもんはない。

山の上で飲むジュースが高いのとはわけが違う。



とにかく僕は、「東京に行くと人間こんな風になるのか~・・・」と思っていたが、よくよく聞けばそれも違った。

兄は相模原にいたようだ。

東京に染まるならまだしも、彼は神奈川県の相模原に染まって帰ってきたのである。

ダサい。

相模原ではなく彼がである。念のため。



兄が戻ってきたのにはもう一つ理由があった。

引きこもりになった僕を持て余した母が、何故か兄に泣きつき、戻って来て、「順三をなんとかして欲しい」と頼んだのだ。

溺れる者は藁をもつかむとはこのことである。溺れさせたのは僕だが。



しかし、当時の僕は、引きこもり生活の中で、ブクブクと太り始めた時期であった。

兄はそんなに背が高くなかったので、体重も身長も僕の方が上回っていたし、加えて、暇を持て余していた僕は、家に転がっていたダンベルなどで、ゴールのない筋トレに勤しんでいたので、その成果か腕っ節が強くなっていた。



そんな中、とうとう衝突が起きる。兄が帰って来てしばらくたったある日。

確か、兄が、家の中でタバコを吸っているのを見かけた僕が、注意したのだ。



我が家では、父もタバコを吸っていなかった。

久しぶりに帰ってくるなり、傍若無人に振る舞う兄に無性に腹が立った僕は、彼にタバコを消すように注意した。



喧嘩になった。

喧嘩と言っても、所詮、素人同志。

殴る蹴るではなく、掴み合い、押しあいの無様なバトルではあったが、その時、僕は完全に兄を力で抑え込むことに成功した。

完全に勝った・・・そう思って、「家の中でタバコ吸うなよ!何カッコつけとんねん!ボケ!」と捨て台詞を吐いて兄に背中を向けた瞬間、後ろから彼が飛びかかってきた。



不意をつかれた僕に、簡単に馬乗りになった兄は、顔面をこれでもかと言うほど殴ってきた。

兄としてのプライドを傷つけられ、逆上した彼は、何の手加減もなく拳を振るい続けた。



僕の鼻や口からは血がダラダラ流れ出ていたし、両眼の周りも酷く腫れあがって視界が塞がっていた。十二ラウンド延々殴られたボクサーのような顔面の状況になっていた。

あとで鏡を見たら、あの名作映画、ETそっくりの形状に顔が変わっていた。




何より残念だったのは、“押しあい”の件あたりから、兄弟喧嘩を横で見物していた母が、一度も兄が僕を殴るのを止めずに黙って見ていたことである。

母は、全てが終わった後、一言、「順三が悪い・・・」そう言って立ち去った。

レフェリーってホントに大事。




それ以来、僕の母に対する感情は取り返しがつかないレベルで、何かがゴッソリと抜け落ちてしまった。今では普通に電話で話したりするが。

勿論、そうなった根本は僕の引きこもりである。
ちなみに、それからしばらくして兄は家を出て行った。
新しい仕事が見つかったからなのか、あるいはその時も、両親に、何か金の無心をしていたので、おそらくそれが手に入ったのだろうからなのかは分からない。
はたまたその後、僕が兄の顔面をそろばんでどついたからか。



とにかくそれ以来、彼には会ってもいないし、電話で話したこともない。



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