(中略)



傷ついた上司兼彼氏の息子さんを、わざわざ慰めに来た自分が、ここまで派手に拒絶されると思っていなかったのか。人間は、勝手なもので、善意は拒絶されないと思い込んでいる。

圧倒的に善人ポジションが獲れる案件、まさかそれで、この仕打ち。気の毒なことをした。

彼女は悪くない。


とにかくショックを受けた女は、ボロアパ―トを飛び出していった。幾分か胸がスッとした僕は、さあ、弁明でも聞こうかと、父の方を見やったその瞬間、彼は女の名前を叫びながら、彼女を追いかけてアパ―トを飛び出していった。

「マジか!!」三回目。

僕が「おふくろの味」だと思っていたのは、「愛人の味」だったのである。



(ここから↓)



僕が引きこもり始めてしばらく経った頃。

前段、予兆、枕、振り・・・何と呼んでもいいのだが、こんなことがあった。



ある日父が仕事から帰って来ると、「晩飯作ったるわ―」と言い出した。

今までそんなことは一度もなかったので、母も含め、僕たちは驚くと同時に、喜んだ。


なんだろう今日は。何か特別な日なのかと。



父が腕をふるってこしらえたのは“そばめし”だった。

この“そばめし”、焼き飯の中に、焼きそばの麺を細かく刻んで混ぜた代物で、神戸辺りが発祥らしいB級グルメである。当時、関西地方を中心に、小規模に流行っていたようだ。


今ではあまり見かけない。少なくとも僕の周りでは。

何故かそれをいち早く、父が家で作り始めたわけだ。



そもそも、僕の父はそういう“流行りもの”に、常々、基本的に否定的な立場をとっていた。

漫画しかり、芸能人しかり。

とにかく、自分の考えにそぐわないものは、とりあえず一度、何でも安易に馬鹿にして、自分の虚栄心を満足させる、ひじょうに矮小な器の人間であった。



その父が、当時、「今まさに話題の」そばめしを、何の脈絡もなく突然に、くどくて申し訳ないが、家で料理をしたこともない人間が・・・せっせと作りだしたのである。


僕は、「なにか裏があるに違いない・・・」そう思っていたが、母は素直にそれを優しさだと受け取ったようですこぶる喜んでいた。


あの時の母の笑顔が忘れられない。憐れすぎて。

かと言って別に同情しているわけではないが。



所詮、「炭水化物と炭水化物のコラボ」なので、よっぽどの料理ベタな人間でなければ、まずく作りようがない。


家族全員で、「美味しい美味しい!お父さん凄い!」などと言いながら食べた。



あとあと聞くと、その“そばめし”は、父が愛人に教わったものだったらしい。

なかなかの兵・・・豪傑である。


浮気相手に習った料理を、何のためらいもなく、自分の家族に振舞ったのだ。

ある意味、僕たちは“毒”を盛られたに等しい。考えれば考えるほど、おぞましい“飯”であった。





その後、浮気がばれて、母の逆鱗に触れ、父は家に入れてもらえなくなり、しばらくの間、自分の愛車の中で寝泊まりすることを余儀なくされた。

その車の名は、「シャルマン」・・・“魅力的な”という意味である。



(ここまで↑)



しかし、この父の浮気の件は僕にとって好材料となった。それまで家で肩身が狭かったのだが、この浮気の件を上手く使って立ちまわったのだ。

ある時は、父の味方をし、「分かるよ!あんなにおとんをないがしろにしてたら、そりゃ、浮気もしたなるわ!なあ?一生懸命働いてくれてんのに!!」といって父の肩を持つ。

ある時は母の側に立って、「こんな大変な時に、あれはないわな―!!大体、不潔やわ―!!」などと言い母の肩を持つ。

そもそも“大変”なのは僕のせいなのだが、緊急事態でどちらも味方が欲しい。好都合だった。

蝙蝠のようにあっちへこっちへ行きながら、自分の家でのポジションを確保した。






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