母は、四国は愛媛県の、「今治」という町の出身である。

彼女の実家には、小学校低学年あたりまで、夏休みの折りなどに、家族と一緒に何度か訪れていた。




今治は、「タオルの生産日本一」と言う、それを聞かされた人間が、リアクションに困る、微妙な肩書きを持つ町である。正解は、「おお・・・」であろうか。
郷土の自慢は?名産は?と聞いて、いの一番に出てくるものが、日用品の中の日用品、「タオル」では、正直なところ小学生の瞳を輝かすことは出来ない。
当時の僕は、「そんな日本一なら、わざわざ言わなくてもいいのに・・・」とさえ思っていた。



とにかく、そんな縁もあって、他の土地に比べれば、「愛媛県」や「今治」と言った場所は、若干ではあるが、僕にとって“ホーム”と言うか、“準・地元”のような感覚が今でもある。

後に、愛媛の大学に行くことになるのも、そういった勝手知ったる部分が、後押ししたのかもしれない。


と言っても、特別いい思い出があるわけでもなく、むしろ悪い方が多い。

小学生の頃、何度目かに、母の実家に行ったときのこと。母の父、つまり僕にとっては祖父というわけだが、彼には毎朝必ず食べる大好きなパンがあった。
一度、熱心に祖父に勧められて食べてみたが、大してうまくもなかった。
食パンと菓子パンの丁度中間のような味わいで、ほのかに甘い。ただそれだけ。そんなしょうもないパンを喜んで食べていた祖父を、僕は内心、「かわいそうだな~・・・」と思っていた。



ある時、僕は、夏休みの図工の宿題用に持参していた紙粘土を、夜中、皆が寝静まった頃、コッソリとそのパンにはさんで食卓の上に置いておいた。

ほんのいたずら心からだった。



その日の昼間、僕と同じように祖父の家に遊びに来ていた他の孫達と一緒に、近くを流れる川で水遊びをしていた。
そこでは、祖父が孫達を高く持ち上げては、「ほ~れ~!」と川の流れに放りこむという原始的なアトラクションが大人気で、僕もワクワクしながら自分の順番を待っていたのだが、僕の手前でそのアトラクションは急に営業停止となった。
理由は祖父が腰をやってしまったという止むを得ないものだったのだが、なんだか腹が立った。
例え腰が痛くとも、同じ孫なのに、公平に扱ってもらわなければ困る。年寄りとは言え大人なのだから、痛みをおしてでも、僕にもちゃんと「ほ~れ~!」をやるべきだ。

モンスタークレ―マ―である。



しかし、その恨みから犯行に及んだわけではない。それだけははっきりと言っておきたい。
あくまでも、ネットなどでよく見かける、「○○やってみた」くらいの軽い軽い気持ちだった。

翌朝、カチカチになった「紙粘土サンドイッチ」を食べたおじいちゃんの歯が欠け、えらく怒られた。

「この子は・・・鬼の子じゃ!!」と、後にも先にもない罵られ方をした。

僕が鬼の子なら、母は鬼そのもので、あんたは鬼の元締めじゃないか・・・思っても言えなかった。

それ以来、僕だけ母の実家は出禁になった。

他の兄弟はその後も祖父の家に遊びに行っていたが、僕はその後一度も行ったことはない。


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