“甘み”にとても厳しい家だった。

要するに、お菓子の類のことだが、子供時代、僕が実家で生活している間、そういったものを食べた記憶があまりない。

何かにつけ、全ての項目において窮屈な家ではあったが、そんな中でも、特段“甘み”に関しては、それこそ「戦時中か!」と言いたくなるほど、厳しく統制されていた。

両親は、何か厳しい戒律を持つ宗教にでも入っているのかと、真剣に疑っていた時期もあった。勿論そんな事実はないのだが。



我が家でおやつと言えば、大概、ふかしたサツマイモとか、“いりこ”とか、“昆布”とか、自然系の物が多かった。


一見、「自分らしく、自然体でいることかな?」と、美の秘訣を聞かれ即答する、スッピンが売りのモデルかなにかが好みそうなメニューではある。

今のこの世の中で、わざわざそういったものを自ら選択して食べるということ自体が、隠し様がないほどに不自然極まりないのだが。


とにかく、綺麗な洋服を纏い、歓声を浴びながらウォーキングでもしてこそ、“いりこ”から「お洒落の出汁」が出るのであって、田舎の小学生にとっては、ただの干した魚である。



今思えば、子供の健康を考えていると言えなくもない。勿論、そういう考えもあっただろうが、根はもっと深いと感じていた。



練ったら色が変わるお菓子とか、○○味のポテトチップスとか、何かそういう、“浮かれたコンセプト”を持つ物に対してとにかく凄く警戒心を抱いている両親。

それは、健康志向と言うよりも、ある種の“ポリシー”、“思想”みたいなものだったと思う。



そんなわけで、僕が実家時代に食べたことがある、最もジャンクな食べ物は、“かりん糖”か、“芋けんぴ”くらいのものだった。



その後遺症だろうか。

大人になってからも、ポテトチップス、あるいはカップラーメンみたいな物を、特別な御馳走と感じることがある。

「今日はカップ麺で済ましていいかな?」

毎日の育児に追われて、疲弊した妻が、申し訳なさそうに僕に聞いてくるのだが、彼女の心配とは反対に、幾分かテンションが上るくらいだ。



ジュースなんてものも、実家でほとんど飲んだことがない。

“甘み”を規制されていた分、“盗み食い”をよくした。

人間は、必ず自分の欲を満たすために“道”を見つけるのである。



ある時、紙パックの“飲むヨーグルト”を、家の冷蔵庫で発見した。

“ヨーグルト”の部分が、両親としてはお気に召したらしい。前述したとおりの、牛乳に対する信仰にも近い思い入れからも分かるように、うちの親にとって、乳製品は文句なしに「善」であった。

僕は、牛乳こそ大嫌いだったが、“飲むヨーグルト”に添加された“甘み”は、乳製品に対する嫌悪感を軽々と上回り、即座に「ジュース」の仲間に脳内で加えることが出来た。



勿論、普通に空けて飲んだら激怒される。しかし、正面から頼んでも、飲ませてもらえないと分かっていた。

僕は、たこ焼きを突いてひっくり返す、錐の様な器具で、紙パックの丁度閉じてある、死角になった根元の部分に小さな穴をあけ、そこから長いストローを差し込み、チューチュー吸って飲んだ。

外見は全くの新品のまま、中身だけ減って行く。

あまりの“甘み”に夢中になり、気がつくと半分程飲んでいた。慌てて冷蔵庫に戻し、黙っていた。

翌日、学校から帰ってくると、母に叱責された。

中身の減った飲むヨーグルトを欠陥品だと思い、スーパーに文句を言いに行った所、すぐに穴の存在を店員に指摘され、大恥をかいたらしい。



実際自分がやったことなのでしょうがないのだが、頭から、何の証拠も無しに犯人と決め付けられ正直傷ついた。勝手な話だが気持ち的には冤罪である。

母曰く、「こんなずる賢いことを思い付くのは、お前しかいない」とのことだった・・・御名答である。

その後、父も仕事から帰って来て、また酷く怒られた。



「一休さん」で、和尚さんが大事に隠している“水飴”を盗み食いしたのがばれて、怒られそうになるが、それをとんちで切り抜けるなんてエピソードがある。

しかし、あの手の話は、和尚さんや、将軍様、周りの大人達が、彼の“とんち”を“あり”としてくれる、ユーモアと度量があるのが偉いのであって、一休さんは何にも偉くない。

「屏風のトラを出して下さい!!

そんなガキの戯言に、寛容な心で、ギャフンと言ってあげられる将軍様の方が間違いなく人間として素晴らしいのである。

うちの親にはそれはなかった。



数ある“甘い物・お菓子”、その中でも、何故か我が家では、“バームクーヘン”の地位が異常に高く、母親にも、

「バ―ムク―ヘンは薬だから、病気の時しか食べられないのよ」と教えられていた。

さらに、“甘い物”の地位が高かった例として、クリスマスプレゼントがある。

毎年一応貰っていたが、何故か、我が家ではクリスマスには、大きなチョコレートが配られる。

A5のノートくらいの大きさの板チョコだ。

それを各兄弟、机の引き出しにしまい込み、数か月ほどかけてチョビチョビ食べる。一年分の甘みなのだ。

普段厳しく制限されていたせいか、本来なら、

「えー!チョコレートがクリスマスプレゼント?それだけかい!!」となるはずなのだが、むしろ兄弟全員、喜んでいた。

ギブミ―チョコレートである。


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