「えっちまん」



小学校時代、「スカートめくり」が一大旋風を巻き起こしたことがある。

それこそ“妖怪のせい”だとしか思えないほど、皆、取り憑かれたようにスカートをめくるという蛮行に勤しんでいた。


主に小学校低学年、1年生、2年生あたりの男子の間での流行だったと思う。

何かのテレビの影響だったのか、“芽生えた”子供達による自然発生的なムーブメントだったのか定かではないが、とにかく、男子が女子のスカートをめくり、女子が悲鳴を上げ、それを聞いてただただ喜ぶという、世紀末的な、阿鼻叫喚の地獄絵図・・・そんな光景が毎日のように校内で繰り広げられた。

男子の間ではある種、“度胸試し”のような意味合いもあったと思うが、めくられる女子はたまったもんじゃない。


色々な“めくり方”が編み出された。

基本に忠実に、後ろから忍び寄ってめくる。

女子とすれ違いざまにめくる。これは、スカートに目線が行っていると、いとも簡単にばれてしまい、結果、失敗するので意外と難しい。

“ノ―ルック”でアタックする、“芽生えた”小学生には酷過ぎる自制心が要求される。




複数で、下敷きで扇ぐパターン。これは、スカートをめくると言う結果よりも、「大勢でお祭りのようにめくる」という、“イベント感”を重視したもので、罪は軽い。

万が一つかまって、先生に怒られる際も、その責任の所在を頭数の分だけ散らすことができるという利点もある。ひじょうに日本的なやりくちである。

責任の割り勘。保険のようなシステム。この集団からはリ―ダ―もヒ―ロ―も生まれない。



他にも、女子の足元に滑り込み、立ち上がる勢いそのままにめくったり、五人のチームになり同時多発的にあちこちでめくったり、あるいは、一人をおとりにし、そいつに女子の注意がいっている隙にめくると言う、高度な戦略性、練度を必要とする作戦まで行われた。


特に、僕の所属するグループは、「スライディングパターン」がお気に入りだった。

掃除の時間、僕達は廊下をピカピカに磨き上げ、本番の時の摩擦係数を限りなく低くするために血道をあげたものだ。たまたま掃除の見周りに来ていた校長先生に、

「真面目に一生懸命掃除をしている子達」と、朝礼で褒められたこともある。

校長先生と言えば、地域ではトップレベルの立派な大人の一人であるはずだが、所詮、子供は大人にとって、ブラックボックスでしかない。

何故掃除に励んでいたのか、その中身までは見抜けなかったようだ。



当時僕は、「えっちまん二号」と呼ばれ、女子達から恐れられていた。

一方、男子からは勇者を見るような、一目置かれる存在だった。

二号と言うからには、一号がいたはずだが、彼の事は顔も名前も覚えていない。

しかし僕を差し置いて、“一号”を名乗るからには、“えっちまん”としての実績が僕より上だったのは間違いない。


ちなみに、この“えっちまん二号”こと僕は、その後の人生で“引きこもり”になり、結果、あんなに“えっち”だったのに、二十代半ばまで童貞と言う、若干遅めのデビューを飾る事になる。因果応報とはこの事か。



その後、大人になり、“一回”売れて、仕事で地元を訪れた。

会館のような場所で、数組の芸人とお笑いライブをやり、自分の出番が終わって楽屋にいると、イベントのスタッフさんが、

「男爵さんにお客様です」と呼びに来た。

久しぶりの地元。

誰か小学校時代の友達でも見に来てくれていたのかな?などと思いつつ、その会館のロビーまで出向いて行くと、小さな女の子を二人連れた、若い夫婦がいて、その旦那の方が、

「うわっ!!懐かしー!!・・・久しぶりやな―!!やまっち!!分かる??


わざわざ見に来てくれて、本当に申し訳なかったのだが・・・分からなかった。



こういう時、いつも思うのだが、本来、覚えてもらってない方が恥じ入るべき場面だと思うのに、何故かこちらが一方的に試されているような、クイズ番組の回答者のような、そんなプレッシャーを感じてしまう。

理不尽だ。

自分の影の薄さ、相手の記憶に爪跡を残せなかった、当時の己のパフォーマンスの悪さを反省するべきではないのか。

どんだけ主人公面して生きてくればその心境になれるのか・・・羨ましい限りである。



そもそも、中学受験に合格して、地元を遠く離れた学校に進学した僕は、その時点で小学校時代の友人達とは完全に縁が切れていた。

その後、“引きこもり”になり、中学校時代の友達とも縁が切れ、大学は愛媛だったが、その後、“失踪”に近いかたちで上京したため、その時代の友人達とも縁が切れ・・・と、節目節目で人間関係が切れていくと言う、宇宙ロケットのような、数段階に及ぶ切り離し人生を歩んできたので、同窓会みたいなものに呼ばれたこともなかった。



なので、知り合いがライブに来てくれたこと、それ自体は大変嬉しかったのだが、誰なのかは分からない。

こちらの戸惑いを察したのか、僕のことを、「やまっち」と呼んだその男は、「小学校の時、同じクラスだった○○だよ!!」などと説明してくれた。

が、千ピースはあろうかという記憶のパズルの、一カケラや二カケラを頂いたところで、こちらはどうしようもない。説明責任はそちらにあるのだ。



相も変わらず、僕の記憶は焦点を結ぶことはなかったが、気まずかったし、彼の家族の手前、恥をかかせてはいけないと思い、

「あ―!!ハイハイ!!懐かしいな―!!」とか言いながら、適当に調子を合せていた。

あまり弾んでいない大人達の会話に飽きてしまったのか、

しばらくすると子供達がぐずり始め、奥さんが外に連れて行った。

すでに気まずさに耐えきれなくなっていた僕は、

(早くこの人も帰らないかな―・・・)と、すっかり醒めた気持ちになってしまっていた。

すると、男が感慨深げに、

「いやでもほんま懐かしいわ!!な―?あの時は、やまっちが二号でな―!!?」



・・・・・“一号”だった。


あの、学校中の女子を恐怖のどん底におとしいれ、唯一、その卓越したスキルで僕を上回った男、“えっちまん一号”だった。


“一号”は今、愛する家族に囲まれ、幸せに暮らしている。





ちなみに、その時、彼の奥さんと娘は全員「ジーパン」を履いていた。



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