寒紅梅の花が咲いていました。気づかないうちに寒梅が咲くころになっていたんですね。冬も真っ只中になったみたいです。

     
朝、『前橋新聞』第11号(2024冬号)が届きました。季刊ですから、あと1号で発刊4周年、早いですね。それにしても表紙見てびっくり、蜷川実花さんではないですか、写真家、映画監督…、いろんな分野で国際的に活躍を続けるアーティストです。凄いですね、日本のトップアーティストが前橋のタウン紙の表紙を飾り、見開きのインタビューも。こちらのデジタルブックで閲覧できます、ぜひ読んでください。

    
そいで、前橋新聞第11号の中ほどにね「めぶく。馬場川通り」って全面広告が掲載されています。全面広告ですが、現在馬場川通りで進められている、公共工事や民間建築工事を詳しく紹介してくれています。大きな写真は、白井屋ホテルの隣で建築中の「ばばっかわスクエア」です。間もなく完成するみたいです。

     
「ばばっかわスクエア」が作られる前の風景はこんなでした(2021年11月撮影)。手前の木造建築は以前「清元」という名の旅館だった建物です。ユキ子さんの祖母の初代吉駒と伯母の二代目吉駒のお師匠さんだった若柳寿慶師の奥さんが清元の稽古場として使っていたんです。その隣は、ホテルと喫茶店だった「小町」のビルです。

     
春になると「小町」の前の桜がきれいでした。詩人の伊藤信吉さんは前橋に来るとよく喫茶店「小町」でコーヒーを飲んでいたそうです。窓からこの桜の花を眺めるのが楽しみの一つだったようです。私は勝手に「小町桜」って名付けて呼んでいました。

     
喫茶店「小町」には、伊藤信吉さんが書き残した句があります。

    片町や夏逝くころの撥の音

「古き日の馬場川通り也」と記されています。伊藤信吉さんが若かりし頃は、このあたりが前橋の花柳界の中心地だったんです。

     
これはもっと古い風景になります。福田貂太郎(1903~1991)さんが描いた清元の並びにあった料亭「岡源」の入り口です。馬場川に小橋をかけて玄関に入るように造られていたらしいです。もちろん前橋空襲で焼失しています。

   
絵の左下の墨書を拡大しました。明治の末ごろの風景と記されています。前橋空襲で失われた、100年前の馬場川の風景です。

     
夜の「小町桜」です。花が咲くと、小町桜の下で遊んだんです。篠笛奏者の朝倉力さんが演奏をしています。この写真は2009年4月8日に撮影した夜の小町桜です。もう、この時すでに年老いていました。あと何年かな、この木の下で夜桜を楽しませてもらえるのはって思っていたんです。

 

 昨日、NiiSへトレーニングに出かけるとき、COCOの姿が見えませんでした。探したら二階の家事室の隅っこ、それも箪笥の脇の足滑らしたら一階へ落ちちまう危険な場所にいました。ユキ子さんが電気掃除機で掃除をしてたんです。COCOはとにかく電気掃除機が苦手です。そいで、こんなとこへ逃げ込んでいたんです。

 
頭上の空は良く晴れてたのですが、山並みの上にはしっかりと雲が居座っていました。昨日のトレーニングは体幹を捻る運動が多かったです。少しくたぶれたかな…。

 滝川の水の流れもすっかり止まってしまっていました。古市堰のところにいたコガモの群れもいなくなってしまっていました。水がないのですから仕方ないですよね。

     
NiiSの帰りに、朝、前橋新聞で見た「ばばっかわスクエア」の工事現場を覗いてきました。馬場川通りが見えるこの路地はずいぶん長い間飲んだくれていた路地なんです。二代のママに世話になった「ペルル」、それから「佳川」、「あひる」、「昨日・今日・明日」…、今はもうみんなありません。

     
その路地を抜けると「ばばっかわスクエア」の工事現場です。もう植栽工も始まって、追い込みに入っているみたいです。街は変わります、変わらなくてはいけないのです。昔話を書きましたけど、「昔は良かったよ」とか、「昔を残して」などというつもりは全くありません。ただ、事実としての過去を伝えるのが年寄りの仕事です。

     
そうそう、面白い写真が残っていました。左はスナヤツメ(2010年保護)、次はウグイとマス(2011年保護)、ともに小町のご主人の北原さんが断水した馬場川で保護して、水が戻ってきてから川に戻してやった魚です。馬場川にも魚が住んでいるんです。

 

 午後、ユキ子さんの車に乗せてもらって用足しに出た先で、寒紅梅の花に出会いました。いいですね…

 

 
夕食のおかずは黒酢酢豚と中華サラダでした。この酢豚の肉は、薄切りの豚ロース肉を四つに畳んで、油で揚げずに、焼いて厚い肉のように見せかけて作りました。自分も含めて入れ歯の老人に配慮です。

 それと白菜と豚肉のスープ、後は十六穀米を使ったネギチャーハンでした。

 ユキ子さんの両親へも同じものを届けました。たまの中華料理風です。

今日から寒波襲来とのこと、心して暮らします。新しい街の姿を見たいですから。

 

 ヒゲじいさんの連れ合いの三代目若柳吉駒でございます。
1937年(昭和12年)に祖母の初代吉駒が始め、伯母の二代目吉駒が受け継いでまいりました直派若柳流美登利会、毎年春に公演会を開催しまいりまして本年4月の公演で79回目を迎えることができました。また、来春4月7日には第80回美登利会公演を予定しております。会員一同これからも精進を重ねてまいりますので、宜しくお願い申し上げます。

 なお、2月17日に東京の浅草公会堂で開催されます東京新聞主催の「第98回女流名家舞踊大会」にも出演いたします。演目は、常磐津「廓八景」です。


《最近の美登利会と吉駒リサイタルの舞台をご覧になりたい方は…》
第79回美登利会と第4回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧ください
第78回美登利会と第3回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧下さい
第77回美登利会と第2回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧下さい
第76回美登利会と三代目吉駒襲名リサイタルはこちらでご覧下さい
お稽古場は前橋市城東町、詳しくはこちらをご覧下さい