沖縄防衛戦は1945年6月23日未明、牛島 満司令官と長 勇 参謀長の自決により終結しました。
4月1日からの激しい戦闘により、民間人も含めた戦没者数はおよそ20万人を数えました。それが「沖縄慰霊の日」のいわれです。
5月11日より九州・台湾から発進する特攻機の自爆攻撃によって、米軍に損害をあたえる「菊水作戦」を開始しました。帰りの燃料もなく、 海上特攻として沖縄に出撃した戦艦「大和」の到着予定日は 4月8日でしたが、大和は米軍艦載機の集中攻撃により 7日に東シナ海で撃沈されました。米軍は日本軍の電文を傍受して解読しており、大和の沖縄行きの情報を得ていました。
特攻機の命中で艦載機が炎上するイギリス海軍空母「フォーミダブル」
沖縄戦には陸海軍計1,900機の特攻機が投入された。写真は陸軍特別攻撃隊第72振武隊の操縦者達(中央・荒木幸雄伍長)。撮影の翌日、5月27日に隊長・佐藤睦夫中尉以下九九式襲撃機10機の第72振武隊は万世飛行場を出撃、その内2機が金武湾上においてアメリカ海軍フレッチャー級駆逐艦「ブレイン」に突入し大破の戦果をあげた。
陸海軍の将兵は、家族を始め国民を守るために、わが身を捨てて敵に挑みました。
戦闘終了後日本本土への攻撃体制を強化するため、大規模な飛行場等の建設を急ぐ米軍は、住民を沖縄本島北部の収容所(馬・牛小屋など)に強制収容しました。現在の普天間、嘉手納飛行場は当時米軍によって建設されたものです。
沖縄の皆さんは「沖縄は本土の捨て石にされた」と言う事が多いが、特攻攻撃までかけて戦ったのだから、決してその様なことは無かったと思います。
しかし、「本土決戦」と言う言葉が有る以上、沖縄は本土では無かったのです。
間もなくQプランの最終イベントの始まりです。
米ドル・株式・債権・仮想通貨などが暴落し、第3次世界核戦争の恐怖によるパニックから、世界的な戒厳令がひかれ、EBS(世界同時緊急放送)が始まります。
EBSは、DS(ディープステート)による悪事暴露と、隠匿されている画期的科学技術の一般公開です。
世界中のテレビ・ラジオすべてのチャンネルで、8章からなる1時間のドキュメンタリービデオが、数日間連続で放映されます。
通信の遮断による経済停止・秩序維持のために停電もあります。ATMやクレジットカードが使えなくなります。自分自身だけでなく、大切な人の為にも、
少なくとも3週間分の現金・食料品・日用品・燃料その他の必需品を備蓄願います。