我が家は三木の高野山月輪寺の檀家で、今日は先祖供養の施餓鬼法要の日である。
小生がこのお寺の総代役員に就任したのは昭和59年(1984)28年前の43歳の時で、今はもう既に72歳である。
この役をお受けしたのは今は亡き前住職が中学校の恩師で、新興住宅地の志染駅前の自由が丘が開発され檀家が増えかけていたからであった。その先代が亡くなり、大手企業に勤めていた息子さんが後を継ぎ、既に数年たった。
毎年、8月17日は施餓鬼法要の日でこの28年間進行係が主な役割で、今日も無事役目が終えられたことに感謝である。
処で、施餓鬼法要とは、ウキペデイアによると : http://kaizenji.org/sonota/segaki.html
「施餓鬼」とは正に字面の如く「餓鬼に施す」という意味である。
「餓鬼」とは六道(天上道、修羅道、人間道、畜生道、餓鬼道、地獄道)のうち、餓鬼道に落ちて苦しんでいる亡者のこと。
餓鬼が口にしようとするものは忽ち炎と化し、何一つ食べることが出来ず飢えの苦しみには際限がない。自分の力ではこの苦しみから脱することが出来ない餓鬼に、食べ物を施そうというのが「施餓鬼供養」である。
実際には、食べることで(つまり他の命を奪うことで)自己の命を繋いでいる自分の罪深さ、或いは食べ物に対する感謝の念を自覚するための供養である。
「いただきます」「ごちそうさま」という日常的な言葉の中にも、この教えが生きているのだろうと思う。
とあった。その他関連の事も詳しく出て来た。