沖縄で数学教師してます、「比嘉」です。

「数学を通して生徒が自分で考えて行動する」ことを目指してブログを始めた高校教師です。

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医療系の推薦を受ける生徒がいるので
このような本を読んでおります。






安楽死を遂げた日本人







まだ読んでいる途中ではありますが、

最近あった事件や新聞記事からも、この問題に対して少し学んでおります。







この本では、安楽死にかかわる世界の状況や安楽死を望む方々のそこに至る経緯、その方の周りの人たちのリアルな心境を知ることが出来ます。



















今回のブログは
この本に書かれているある患者さんと家族との会話についての内容です。















この本に書かれているALS患者の方は、どんどん出来ることが減り、また色々なことを面倒見てもらうことが多くなることで感謝として「ありがとう」と伝えることが増えてきました。(医者からも感謝することが増えるだろうと言われていた。)



ある日、この患者の方が家族で鍋をするとき、元気な頃はみんなを楽しませていた鍋奉行であったのに、今では全く何も出来ず、家族に全てやってもらい、さらに優しい言葉をかけてもらって、自分の情けなさと周りのサポートに泣きながら感謝を伝えた場面があります。










そこでの家族の言葉がとても印象に残ったので引用します。























あたしね、あんたに一つだけやってもらいたいことがある。

ううん、やってもらいたいじゃなくて、変えてもらいたいことがある。

あんた、頼むから
いちいちあたしのやることに

「ありがとう」

って言うのやめてよ。

こっちは当たり前でやってんのに、あんたはいつもありがとう、ありがとうって。

寂しくなる

から、言わないで。

他人行儀だから
言わないでよ!


















号泣…えーん

















確かに、
職場や家庭で
「ありがとう」と言われて
私も「?」と思ったことがあります。


「いや、当たり前だから」


と確かに思ってました。














ありがとうを言うことは大切だとは思いますが、相手の捉え方によっては

「寂しくなることもある」

というのは
改めて気付かされた視点でした。
















ちなみに、
この話には続きがあり

ALS患者の方は翌日以後も家族に感謝を伝え続けます。



ただ、伝える言葉は
「サンキュー」。





感謝の言葉が少し軽く聞こえるように
そう言うようになったそうです 照れ























この話も踏まえ、
言葉は1つの手段であって
それが全てではない、と思いました。






相手の捉え方によっては感謝の言葉すら相手を悲しませてしまうことがある、からです。












皆さんも日頃から使っている言葉で
そのようなことはありませんか?












言葉の使い方や捉え方を「対話する相手と」確認することで、新たな学びとより関係を深めるきっかけ作りになるかもしれませんね。





私もこの職業に務めるものとして、改めて生徒や保護者、そして同僚との「会話」についてより考えていきたいと思います。











教室の比嘉より







今年は難病患者の安楽死事件もありました。医療系の受験生はもちろん、社会的な問題としても学びの多い本だと思います。賛否あるかと思いますが、1つの視点としてとても参考になる本だと思います。↓
安楽死を遂げた日本人