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マルコ  10章  2~ 16節

 

 先週『ガリヴァー旅行記』から

「理性で解決すればよいではないか」

「どうして平和と秩序のための法律を使って、

 人を陥れたり排除したりするのか?」とあるのを引用しました。

 

 これを語った馬のリーダーは、なおこう語ります。

「動物は、特定の期間だけ発情してパートナーを見つける。

 でも人は年がら年中発情し、

 オスはメスを、メスはオスを追いかけ回している。

 決まったパートナーがいればいいともならない。

 よそのオスやメスを探して、コソコソ、ドギマギ。

 もとのパートナーと取っ組みあいのケンカは見ちゃいられない」。

 

 そこまでひどくはないよと言いたくはなりますが、確かに結婚、離婚という法律、秩序がなければ、ただの強い者勝ちの世界になるでしょうか?

 

 今週7日からの聖書日課も、姦淫や性被害への律法が書かれています。読んでいてあまり気分はよくありません。

 

 でも法がないと秩序、平和が保てない。

それだけ人間の罪が深く重いということを心に刻みましょう。

 

 今日の聖書はパリサイ人が離婚について聞くことから始まります。試みるため。良い動機ではありません。けれどもそのことを通してイエス様は、旧約を通して、結婚の最も大切なことを教えてくださいました。

 

「『神は人を男と女とに造られた。

 それゆえに、人はその父母を離れ、

 ふたりの者は一体となるべきである』。

 

 彼らはもはや、ふたりではなく一体である。

 だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」。

 

 夫婦は「ふたりではなく一体」「神が合わせられたもの」だ、と。

妻、夫の喜びは私の喜び。苦しみ悲しみは私の悲しみ。

互いに良き助け手として、尊敬しあい、支えあう。

健康の時も、病める時も、他の人が見捨てるような時も、

愛し、仕えあう。

「あなたこそ、私の肉の肉、骨の骨」です。

 

 もちろん夫婦だけではなく、

全て神に造られた私たちは、

隣人を「肉の肉、骨の骨」として互いに愛し合い、

支えあうようにと神が望んでおられます。

 

 けれども私たちの心が「かたくな」なので、

愛しあうことができません。

 

 愛し合えないかたくなさ。

性的な問題だけではありません。

人間関係、すれ違いはあります。

離婚となれば、お互いが疑心暗鬼、

DV(精神的圧迫も)もあったりするので、

法の下、第三者を交えて調停が必要になるでしょう。

 

 夫と妻。

それは良き助け手として支えあうことです。

 

 職場や近所、ややこしい人間関係は色々。

家庭内でも、ダブルケアなんて言葉もありますが、

家族のお世話で大変な方もおられるかもしれません。

 

 その中で疲れ果てている夫、妻と支え合う。

それこそが、夫婦、結婚する意味です。

大変な社会を夫婦で乗り切る。

 

 でも私たちの心が「かたくな」なので、

愛しあうことができません。

「私だけがしんどい」「不公平や」。

イライラは溜まってきます。

夫婦ならば、ついいらんこと、

思ってないことまで言ってしまいます。

また言うたと後悔。

言われたことを思い出してムカムカ。

愛する。そう上手くいきません。

 

 そんな私たちに、

イエス様は幼な子を通して教えてくださいました。

 

「神の国はこのような者~幼な子~の国である。

 よく聞いておくがよい。

 だれでも幼な子のように

 神の国を受けいれる者でなければ、

 そこにはいることは決してできない」。

 

 こう言って、幼な子を祝福されました。

 

 「かたくな」の逆は

「幼な子のように神の国を受けいれる」です。

 

 幼な子。

それは愛されなければ、

支えられなければ生きていくことのできない

小さな者ということです。

 

 私たちも本当は、

神の前に幼な子です。

神から与えられなければ、祝福されなければ、

生きていけない幼な子です。

 

 いや、それ以上に、

十字架の恵みで赦されなければ生きていけない

かたくなで惨めな罪人です。

 

 かたくなな愛しあえない私たちのために

イエス様が十字架で死に、復活なさいました。

 

「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、

 どれだけ大きな愛を賜わったことか、

 よく考えてみなさい。

 わたしたちは、すでに神の子なのである」

と言われている通りです。

 

 たとえ人が、あなたを見捨てても、

イエス様の愛は変わりません。

 

 お仕事や人間関係、

子ども、孫のお世話、親の介護などで

疲れ果ててしまうあなたを、

主は慰め、励ましてくださいます。

 

 神の子、愛された者として、

私たちは、互いに愛し、助け合っていきます。