マルコ  9章  30~ 37節

 

「人の子は人々の手にわたされ、彼らに殺され、

   殺されてから三日の後によみがえるであろう」。

 

   イエス様は繰り返し言われます。

 

   けれども弟子たちは

「言われたことを悟らず、

   また尋ねるのを恐れてい」ました。

 

   仕方がないでしょう。「殺される」と言われ「そうですか」はありません。「よみがえる」。そう言われていても、簡単に受入れることはできません。

 

   しかもペテロが「ちょっと先生、何言わはるんですか」と言った時には厳しく叱り飛ばされています。分からない。でももう何も言えないでしょう。

 

   聞くのが恐い。

死ぬ、殺される。その意味を知るのが恐い。

でも下手に聞いてまた怒られたらと思ったら、

それも恐い。

聞けない弟子たち。

 

   イエス様と弟子たちの間に

重い雲のようなものが漂っています。

 

   そんな弟子たちに

イエス様の方から語りかけてきてくださいました。

 

「あなたがたは途中で何を論じていたのか」。

 

   え?あの、その?

弟子たちは口をもごもご。

だれが一ばん偉いかと、互に論じ合っていたからです。

そんなこと言えません。

でもイエス様はお見通し。

 

   でも具体的にどんな話を?

礼拝後、私たちも色んな話をなさるでしょう。

でも「だれが一ばん偉いか」が

直接話題になることはないでしょう。

と言うより、様々な場所で仕えておられる皆様です。

その中で、いかに心乱されることなく、

穏やかな心で仕えることができるかが

問題かもしれません。

 

   弟子たちは一体何を話し合っていたのでしょうか?

 

   でも人間が集まるといじめや仲間はずれなど

ややこしくなることがあります。

 

だれが一ばん偉いか?

 

   弟子たちの会話の端々に、

人間関係のややこしさ、見栄をはったり、

おだてられいい気になったり、

軽んじられていじけたりがあったのでしょう。

 

   イエスはすわって十二弟子を呼び、そして言われた、

「だれでも一ばん先になろうと思うならば、

   一ばんあとになり、

   みんなに仕える者とならねばならない」。

 

   そして、ひとりの幼な子をとりあげて、

彼らのまん中に立たせ、それを抱いて言われた。

「だれでも、このような幼な子のひとりを、

   わたしの名のゆえに受けいれる者は、

   わたしを受けいれるのである。

 

   そして、わたしを受けいれる者は、

   わたしを受けいれるのではなく、

   わたしをおつかわしになったかたを

   受けいれるのである」。   そう語られました。

 

   だれが一ばん偉いか。それは

「自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」

から程遠い、全く逆です。

でもそれが弟子たちの一番関心事でした。

 

   イエス様に従うとはどういうことか?を

教えてくださいました。

幼子を抱いて、

具体的に見える形で、教えられました。

 

   幼子。

それは最も小さな者という意味です。

可愛いものを可愛いと言っているのは普通。

小さな王様の勧めではありません。

 

   そうでなく最も小さな者。

それは何かあれば、すぐに切り捨てられてしまうもの。

戦争や飢餓、余裕がない時に、役に立たない、

足手まといと見られてしまうものです。

 

   他の人が見捨ててしまう、

それも仕方がないと思われる人を

受けいれること。

それが、イエス様、

そしてイエス様をつかわした

父なる神を受けいれることです。

 

   仕えて生きる。

辛いことがあるかもしれません。

わがまま、ひがみなど仕えようとする相手からの

負の思いに振り回され、

心穏やかでないこともあるでしょう。

 

そんな皆さんのためにお祈りしています。

 

   何よりも、イエス様が、

今も天の父の右で祈っています。

聖霊なる神様が、うめきをもって執り成しておられます。

祈りに主は答えてくださいます。

「相談してくれて ありがとう」

「力を合わせて一緒に

   この問題を乗り越えていきましょう」と。

 

   幼子、最も小さな者を受けいれる。

それはまず、あなた自身を受けいれることです。

大きくなってお世話する側になっても、

私たちはキリストの愛によって、

神の子、幼子です。

 

   もう一度お世話を受けるようになっても大丈夫。

 

「だれでも、このような幼な子のひとりを、

   わたしの名のゆえに受けいれる者は、

   わたしを受けいれるのである」。

 

   このように幼子を抱きしめてくださったイエス様が、

弱く倒れそうなあなたを抱きしめてくださいます。

 

   高価で尊いあなたのために、

イエス様が十字架で死んで復活してくださったのです。