垂水   恋人岬

 

 

 

 

エペソ 4章 25~ 5章 2節

 

   エペソの教会への手紙です。地中海沿いの今はトルコ。世界遺産です。

 

   パウロはこの地でじっくり2年間、伝道をしました(使徒19章)。色んな事件も一杯。

 

「パウロの宣べ伝えている

   イエスによって命じる。出て行け」と真似する人。

「イエスは知っている。パウロも。

   だがお前たちは一体何者だ」と悪霊につかれた人たち。

 

   皆恐怖に襲われ、主イエスの名があがめられました。信者が増え、魔術を行っていた人々は、魔術の本を皆の前で焼き捨てました。

 

 パウロは御霊に感じてエルサレムに行き、さらにローマにと決心をします。

 

   そのころ、銀でエペソの守り神アルテミス神殿の模型を作っていた職人らが、「手で造られたものは神ではない」と言うパウロは悪い!と群集を煽動し、「大いなるかな、エペソ人の神アルテミス」と叫び、暴動になります。

 

 続く20章のエペソ教会の長老へのパウロの惜別説教は心を打ちます。

 

 そんなエペソの教会への手紙です。

 

   パウロは捉えられ、牢の中からです。

でも「キリスト・イエスの囚人」。

確かに人の陰謀、悪意によって捕らわれているけれども、

私自身を身も心も魂も捉えているのは、

救い主イエス様!

 

 エルサレムで捕えられローマに護送され牢に監禁される。その中で、兵隊の姿を観察したのでしょう。

 

   神の武具。

真理の帯。正義の胸当。平和の福音の備えを足に。

信仰の盾。救いのかぶと。御霊の剣すなわち神の言。

 

   このようにローマ兵の姿が、

信仰に生きる私たちの姿にたとえられています。

 

 けれどもその戦いは血肉に対するものではありません。

 

   今も悲しいことに争いは続いています。憎しみが憎しみを生み、やられたらやり返す。

 

   でも、十字架によって神と和解させ、

敵意を取り除かれる主イエス様を信じる私たちは、

目に見える相手に力で勝つのではありません。

血肉の戦いではない。

 

 人と人とが一緒にいれば何らかのトラブルもあります。

 

   人は神にかたどられて造られました。

神は愛です。

ですから隣人を愛するようにと私たちは造られました。

でも罪によって、その姿はそこなわれています。

慰め、励ましを語るために造られたこの口が、

人を傷つける悪い言葉を語ります。

 

「人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、

   聞いている者の益になるようにしなさい」。

 

   けれども人を妬み傷つけてしまいます。

 

「怒ることがあっても、罪を犯してはならない。

   憤ったままで、日が暮れるようであってはならない」。

 

   でも実際は「こんなことされた、言われた」といつまでも根に持っているかもしれません。

 

「どうしてあの人は、そんなことを言ったのか」。

   愛と配慮を持って、相手の立場に立って考え受け止めるということは中々できません。「あの人はあんな人」とレッテルを貼ります。

 

   そんな中

「神の聖霊を悲しませてはいけない」の一言は

ズキンときます。

 

   自分を大切にしてくれる人を悲しませたくはありません。

聖霊なる神様が、どれだけ私たちのために多くのことをしてくださったのでしょう!!

 

   聖霊なる神様は目には見えません。

でも信仰に目を開いてくださったのも、

聖書を通して私たちに語りかけてくださるのも、

聖霊なる神様のお働きです。

 

   さらに

「あなたがたは、あがないの日のために、

   聖霊の証印を受けたのである」とあります。

証印、判子ですね。

 

「あなたはすでにキリストの十字架のあがない、

   一方的な恵みで罪赦されています」。

「あなたはすでに神に愛されている子どもです」。

 

   イエス様の血による新しい契約に、

聖霊の証印がボンと捺されています。

それは、社長印や大御璽にはるかに勝ります。

 

「愛のうちを歩きなさい。

   キリストもあなたがたを愛して下さって、

   わたしたちのために、ご自身を、

   神へのかんばしいかおりのささげ物、

   また、いけにえとしてささげられたのである」。

 

   イエス様が、あなたを愛してくださっています。

神に愛された子どもである私たちも

愛に歩みたいと願います。

 

   エペソの教会。

元魔術師や

(アルテミス神殿関係で仕事をしていた人もいたでしょう。

 

「あなたがたは以前はやみであったが、

   今は主にあって光となっている」や

「口にするだけでも恥ずかしいこと」

盗んだ者は、今後、盗んではならない」のように、

様々な過去を負う人もいたでしょう。

 

  そのような人々が集えるエペソの教会。

とっても素晴らしい!

 

   御霊、神の霊が、

新しい人に造り替えてくださったのです。

人にはできない、でも神にできない事はない。

 

   教会にはキリストの人知をはるかに越えた愛、

恵みに満ちています。