ヨハネ 6章 1~ 21節

 

「男の数は五千人ほど」。

女性、子供も合わせて約一万人でしょうか。

 

   一万人の第九というのもあります。

ありえないことですが、

その指揮者が、演奏会の当日、いきなり

「どこからパンを買ってきて、

   この人々に食べさせようか」

と言えば、マネージャーは「先生、勘弁してください。予算はありません」と言うでしょう。 

 

   もちろん野球のファン感謝デーでユニフォームを配ることができるのは、あらかじめ、そのための準備をしているからです。突然言われれば困ります。

 

   イエス様と弟子たちの食事。

いつもどうしていたんでしょう?

 

   マルタとマリヤなどの家に呼ばれることもありますが、それ以外は、弟子たちが準備していたのでしょう。多くの女性が仕えていたとも聖書に書かれています。いずれにしろ食べること、寝る場所の確保、お金の管理は必要です。

 

   イエス様を裏切ったユダは「財布を預かっていて、その中身をごまかしていた」とあります。悲しいことに罪は「門口に待ち伏せてい」ます。主よ、我らを悪から守りたまえ。

 

   でも突然

「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか」

と先生は言われる。

弟子たちは大変だったでしょう。

 

「どこからパンを買ってきて、

   この人々に食べさせようか」。

一万人の群集を前に、その答はただ一つ。

無理です。ピリポの答は当然です。

 

   でも、話をややこしくする人が現れます。

ペテロの兄弟アンデレです。

 

「ここに、大麦のパン五つと、

   さかな二ひきとを持っている子供がいます。

   しかし、こんなに大ぜいの人では、

   それが何になりましょう」。

 

 この場にいたら、私は言うでしょう。いや気が弱いので心の中でボソッと。

 

   無理や言うてるんやから、それでええやん。

大麦のパン五つと、さかな二ひき?

子供のお弁当やん。

ありがとうなんて言って受け取るなよ?

「こんなに大ぜいの人では、

   それが何になりましょう」って、

なるわけないやんか!

 

 でもイエス様は人々を座らせ、

「パンを取り、感謝してから、

   すわっている人々に分け与え、

   また、さかなをも同様にして、

   彼らの望むだけ分け与えられ」ました。

残ったパンくずは、十二のかごにいっぱいになりました。

 

 今日の聖書日課にはこうあります。

「イエス様の奇跡は、

   その、五千人の中に数えられなかった

   「おんな・こども」の中から起こりました」と。

 

   取るに足りないと思われるもの、

数にも入らないもの。

 

大麦のパン。

麦飯は大麦?

今は雑穀も含めて健康のためですが…

 

   貧しさ、悲しみを知るお方が、

数にも入らないパンと魚を

感謝し、祝福し、

群衆をおなか一杯にされました。

 

   それは私たちを励まし、希望を与えてくれます。

立ちふさがる問題。もう無理。あきらめたほうが…

でも私たちは祈ります。

 

   マナを降らせ砂漠で民を40年養われた主。

こどものパンと魚を祝福された主。

その主が、私たちの祈りを聞いてくださいます。

 

「日ごとの糧を与えたまえ」。

今日私たちに必要なパン、

ひとかけらの勇気、

その他、必要なもの全てを祈り求めます。

この取るに足りない私の祈りを

心に留めてくださっていることに信頼して!

 

   こんな奇跡を見た弟子たち。

もう少々のことで揺るがされない?

 

   いいえ。パンを忘れた弟子たち。

「パリサイ人のパン種を警戒せよ」と言われ

「あ~パンを忘れたからや~」とオロオロ。

「まだわからないのか」と叱られます。

 

   それどころか、その直後、

嵐、強い風でオロオロジタバタしています。

 

   イエス様こそ、命のパン。

「わたしの父のみこころは、

   子を信じる者が、

   ことごとく永遠の命を得ることなのである。

   そして、わたしはその人々を

   終わりの日によみがえらせる」。

 

   このように見えるものに揺るがされない命に、

すぐにお腹が空き、病気、死から逃れられない私たちを、

命のパンであるイエス様が招いておられます。

 

   先週、そうお話しました。

 

   でも、奇跡を目の当たりにした弟子たちでさえ、

目の前のことでオロオロしてしまいます。

 

   けれども取るに足りないものと思われる

こどものパンと魚を感謝して受け取られた

主は生きておられます。

あなたの祈り、叫びに耳を傾けておられます。

嵐に悩む弟子たちにイエス様は近づき

「わたしだ、恐れることはない」と言われました。

 

   主よ、弱い私たちを憐れんでください。

嵐に悩む私の心にお出でください。

大丈夫。恐れることはない。

恵みの御言葉をもって。