使徒行伝 1章  1~ 11節

 

   さよなら。See You Again.

ドイツ語でAufwiedersehn 再び会いましょう。

 

♪さよならは別れの言葉じゃなくて

 再び会うまでの遠い約束 

 

   確かにさよならと言えるのは、もう一度会えると思っているからかもしれません。

 

   幼稚園か一年の時、家に泊まりに来た従姉のお姉ちゃんにべたべた。でもお姉ちゃんはある晩、黙って帰ってしまいました。私が別れを惜しんで大変と思ったのでしょう。朝起きて、いないので、一日中大泣きしました。

 

大泣き?

今生の別れでもあるまいし?

実際、高校の時、2人の子供を連れて泊まりに来ました。昔話をして・・・。でもそれが今生の別れでした。

 

   大泣きでも、笑顔でさよならでも、本当の別れがいつかは分かりません。

 

   イエス様は弟子たちの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなりました。けれども再びおいでになると約束されています。

 

弟子たちの気持ちは?

よく分かりません。

「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」なんてピントはずれなことを言っているからです。

分かってる?

この世で会うのはこれで最後なんやで!

 

    十字架前の晩餐の時には

「主よ、どこへおいでになるのか、

   わたしたちにはわかりません」と悲しみで一杯。

 

「わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない」

「勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」

と沈み込む弟子たちをイエス様は励まされました。

 

   助け主を送る約束をなさいました。

 

   それに比べると、主が天に昇られる時の弟子たちの悲しみはあまり伝わってきません。今生の別れになるのに!十字架での死。そんな絶望から復活、再会を経験しているからでしょうか?もう一度会える。それは確かだと。

 

   イエス様は、自分たちが生きている間に帰ってこられる。弟子たちはそう思っていたようです。

 

   迫害でステパノが殺され、ヤコブが殺され、エルサレムから追い出され。さらにローマではネロの迫害、エルサレムはローマ軍によって神殿も街もガチャンガチャンにされる。

 

   もう帰って来られるだろう。

今度こそはと期待したでしょう。

でもイエス様は帰って来られませんでした。

 

   ネロの迫害は、それから30年後。震災を若い世代が知らないように、その頃の教会は、主と出会ったことがない人が大半です。それなのにどうして、再び来られるイエス様に希望を抱きつつ迫害を耐えられたのでしょうか?

 

   イエス様と旅をし、ご飯を食べ、教えてもらった弟子たちもつらかったでしょう。

 

   すぐ来られると思っていたのに!

仲間が次々に死に、苦しいことが続いているのに、

主よ、どうしてまだ帰って来られないんですか?

 

   弟子たちもイエス様を知らない人も、

苦しみの中、

助け主・聖霊が支え続けました。

 

「主よ、いつまでなのですか。

   とこしえにわたしをお忘れになるのですか。

   いつまで、み顔をわたしに隠されるのですか。

   いつまで、わたしは魂に痛みを負い、

   ひねもす心に

   悲しみをいだかなければならないのですか」

(詩篇13)。

 

   イエス様を見知っている弟子たちだけではない、

私たちの祈りです。

 

   けれどもイエス様は弟子たち、私たちを

ひとりぼっちにはされません。

 

「あなたがたは間もなく聖霊によって、

   バプテスマを授けられる」そして

「聖霊があなたがたにくだる時、

   あなたがたは力を受けて、わたしの証人となる」

と約束されました。

 

「わたしの父から聞いたことを皆、

   あなたがたに知らせたからである」。

 

   イエス様が去ることは、

真理の御霊、助け主、慰め主なる聖霊を

私たちの内に送ってくださるということです。

 

   この助け主・聖霊によって、

苦しみの時も、

聖書の御言葉によって教えられ、

心開かれながら歩んでいきます。

悩み叫びつつも、

主のいつくしみに信頼して歩みます。

 

   そんな私たちにイエス様は、

誰も奪い取ることのできない

喜びを約束してくださいました。

 

聖霊によって、御言葉を通してです。

 

「聖霊があなたがたにくだる時、

   あなたがたは力を受けて、

   わたしの証人となる」。

 

   与えられたその場所で精一杯生きている

あなたはイエス様の証人です。

いらだち、がっかりし、七転八倒しながらも、

主の御言葉に慰められ、励まされ、

復活の命に支えられているあなたは、

まさにイエス様の復活の証人です。

 

   再び主の来られるその日

そんなあなたの目の涙を

イエス様は全くぬぐいとってくださいます。