教会の近所 東垂水展望公園
ヨハネ 15章 9~ 17節
まことのぶどうの木イエス様が
「わたしにつながっていなさい」
「豊かな実を結ぶ」と招いてくださいました。
今日はその続きの箇所です。
つながっていなさい、
けれども集まるのが難しい時がしばらくありました。
交わりを意味するギリシャ語 コイノニアと関係する
コイノスには 汚れた、世俗のという意味があります。
もちろんコイノニアは
共有する、協力するという積極的な意味です。
また愛餐は、
広辞苑にはアガペー 初期キリスト教徒の宗教的会食
と載っています。
このアガペーは、聖書における「愛」です。
つまり、教会が大切にしている
つながり、愛し、交わることには
汚れが伴います。
集まること、ともに語り合い、食事をすることが制限されるのは、それを大切にしている教会にとって、大きなことだったのは確かです。
その状況で、各教会は様々なつながる方法を探しました。
その中で再確認したこと。
それは、
集いたくても集えない人への祈りの大切さ。
自分たちが集まれなくなったことで、
教会に来れない人のために祈ることの大切さを!
聖書を発行している日本聖書協会が、
聖書エッセイコンテストを行いました。
聖書協会のホームページで授賞作品を読むことができます。
23年が第2回で「だからバイブルが好き」がテーマです。
第2回 聖書エッセイコンテスト アワード - 日本聖書協会ホームページ (bible.or.jp)
ある方は、集っていた教会が解散(教会員減少や牧師不足での厳しい現実)。もうバイブルとさよならと思っていたのに、知り合いから教会に誘われて、その時「平和があるように」「世の終わりまで、あなたがたと共にいる」と語られた経験を。
またある方は、外に出るのが恐くなって閉じこもることになり…少しも良くならない、もう終りにしようと思った時、友人が聖書の言葉を送ってくれたことを思い出した。そこで聖書アプリで、神様の愛に出会ったと。今も外には出れないけれど、御言葉に励まされながら歩んでいると語っておられました。
どうかこの方の上に、また
同じように苦しみもがいている全ての方の上に、
慰め、励まし、
具体的な光が与えられますようにとお祈りいたします。
様々な事情で教会には行けない。
でも確かに主は生きて働いておられます。
以前も言いました。
傍からあるいは自分から見て、特別な何かがないと思う人も、与えられたその場所で、精一杯生きています。
そうです。
実は、全ての人は精一杯生きています。
上手くいかない。疲れて何もできない。
いらいらしてどうしようもない。
そんな時でも、自分を駄目と思う必要はありません。
あなたを愛し、選んでくださったイエス様が、
あなたを良し、あなたは私の友、
あなたのために命を捨てたと語ってくださっています。
「あなたがたがわたしを選んだのではない。
わたしがあなたがたを選んだのである」。
「わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない…
わたしはあなたがたを友と呼んだ。
わたしの父から聞いたことを皆、
あなたがたに知らせたからである」。
イエス様は言われます。
聞いた弟子たちはうれしかったでしょう。
漁師のペテロたちは網を捨て、取税人マタイはその働きをやめてイエス様に従ったのですから。
選ばれた。
全てを捨てて従った先生から友と呼ばれた。
全て包み隠さず打ち明けてくれた。
天にも昇る心地かもしれません。
弟子たちは、その後、
迫害、殉教の中も歩んでいきました。
イエス様の友
選ばれた使命と責任、誇りが
苦難の中も彼らを支え続けたでしょう。
選ばれた、
イエス様の友とされた。
それは弟子たちだけではありません。
わたしたちが神を愛したのではなく、
まず神が愛してくださいました。
ピンとこない。
でもあなたは既に
イエス様の友として選ばれています。
「人がその友のために自分の命を捨てること、
これよりも大きな愛はない」。
その大きな愛であなたは愛されています。
上手くいかないこと、さらに病気など、どうしてこんなことにと叫びたくなることもあるかもしれません。
けれどもあなたのために命さえ捨ててくださった、
友であるイエス様がともにいてくださいます。
友であるイエス様が、
あなたの手を取って、支え、励まし、
導いてくださいます。
様々な事情で教会に行けない時も、
力の主の手があなたを導いてくださいます。
地上で旅人として歩む私たちの足を
御言葉が照らし、
一歩一歩導いてくださいます。