ヴィア ドロローサ  エルサレムにて

 

 

 

マルコ 15章  1~ 39節

 

    小学校一年の時でしょうか。夢を見ました。

東京が攻めてきました。

戦争、爆弾が落とされ、小学校の廊下に多くの棺が。

お母ちゃん?お母ちゃん?

必死に探して泣きながら家に帰ると、

物干しに母がいてほっとしました。

 

    当時はベトナム戦争があり、学生と機動隊との衝突映像を見て、東京は恐いと思いました。東京大空襲で黒焦げになった人の写真も刻まれています。

 

    戦争の映像が今も飛び込んできます。

過去ではなく、今まさにの出来事!

今の子供たちも夢でうなされないでしょうか?

 

    いやそれ以上に問題なのは、夢ではなく、

現実に、戦争によって苦しんでいる

立場の弱い人たちです。

 

    3年前の説教で、「十字架につけよ」。祭司長らに煽動された群衆とアメリカの議事堂に人々が押し入った群集が重なり震え上がったと言いました。それから今まで世界で起こったことを考えれば、頭を抱え込んでしまいます。

 

「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」。

「わが神、わが神、

   どうしてわたしをお見捨てになったのですか」。

イエス様は十字架で叫ばれました。

 

    平和で安全な場所にいる時は、私たちは評論家でしかないかもしれません。

 

    けれどもイエス様は、

私たち全ての罪を背負って十字架にかかられました。

世界中の泣き叫ぶ声、絶望、理不尽、いじめ…

全ての痛みをその身に引受け

「わが神、わが神、

   どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と。

 

「美しい神の時に生きる」

「神のなさることは皆その時にかなって美しい」

今年の御言葉と標語です。

 

    総会でこれが選ばれた時、正直驚きました。

正月に地震が起こり飛行機が衝突して炎上。

戦争は終が見えない。気が重くなる。

 

    そんな社会情勢だけではなく、皆さんそれぞれの生活の中で、大変なことを抱えておられる。不安や気が重くなることは多くあるでしょう。

 

    でもある方が言われました。

「だからこそです」。

だからこそ

「神のなさることは皆その時にかなって美しい」。

この御言葉がますます光を放つのです、と。

 

「わが神、わが神、

   どうしてわたしをお見捨てになったのですか」。

詩篇22編もそう始まります。

 

「イエス・キリストは、

   きのうも、きょうも、

   いつまでも変ることがない」。

 

   はるか昔から今もこれからも、

私たちの全ての罪を、そして

罪ゆえにあえぎ苦しむ叫びを背負い、

イエス様は祈り叫ばれます。

 

   そして詩篇22編は、

苦しみ叫びから讃美に

「主をあがめよ」讃美の招きへと転調します。

 

   私たちもそうです。

健康や若さや大切な人、友人、家族、

あらゆるものを失っても、

望みも奪われても、

なお十字架のイエス様が、

私たちの内で輝いてくださいます。

だれもそれを奪い取ることはできません。

 

   今日の箇所に「王」という言葉が繰り返されています。

 

   イエス様を王とすること、

それは見える人を恐れないこと。

命や守るべきものがたとえ脅かされても、

正しいこと、愛すること、

良いことに誠実に歩むことです。

 

   王であるイエス様は僕となり、

十字架で死んでくださったお方です。

 

   私たちには罪が根深く絡みついてきます。

 

   今日の箇所のピラトや大祭司も叫ぶ群集もそうです。私たちと同じ家族を愛する良き夫、妻、お父さん。今も嘘やごまかしを平気で言っている?政治家の人々もそうです。

 

   ピラトの気持ちは分からないでもありません。

「イエスを十字架につけたのは、

   朝の九時ごろであった」。

 

   祭司長たちは何時ごろに押しかけてきた??

「夜があけるとすぐ」群集と押しかけてきて

「十字架につけろ」と大騒ぎ。

 

   ローマから遣わされた官僚の一人としてどうする?

とにかく暴動にならないようにする。

その場を丸く治める。

どないしたらええねん?

大切な家族を守るため

地位や立場を失うわけにはいかない。

ピラトも必死で生きている。

 

   良い人が良いことをする。悪い人が悪いことをする。

それなら普通です。

でもそんな普通どおりにはならないのが罪です。

 

   そんな保身のため、

ごまかしてしまうこともある私たち。

煽動に乗せられてしまう私たち。

人の顔色を伺ってしまう私たちのために

主は十字架にかかってくださいました。

 

   神殿の幕が真っ二つに。

罪の赦しが、成し遂げられました。

 

   昨日も今日も変わりなく 血潮したたる御手をのべ

「友よ帰れ」と招いておられます。

 

   失敗をしても、罪を犯しても、

なお赦し、招いておられます。

 

   さらにイエス様を王として、

恐れず、愛と誠実に歩む新しい命に導いてくださいます。