マルコ  9章  2~ 9節

 

 

   ラジオ深夜便であるピアニストがテレサ・テンの『時の流れに身をまかせ』をリクエスト。

「あなたと遭えずにいたら…平凡や普通の生活をしてたでしょうか」。ピアノや指導者、コンクールの機会と出遭ってと話は続きました。

 

「わたしについてきなさい」。

 

   そう言われ、すぐに網を捨てて、イエス様に従っていったペテロを思うと胸がキュンとなることがあります。

 

   先週も、朝はやく、夜の明けるよほど前に起きて、寂しい所で祈っておられるイエス様をペテロたちが探しにきました。「ほかの、附近の町々にみんなで行って、そこでも教を宣べ伝えよう」。そう言われると、一緒に家を出て行きました。

 

「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、

   永遠の命があり」と主が言われた時には

「これはひどい言葉だ」と多くの弟子が去って行きました。

 

   しかし

「あなたがたも去ろうとするのか」との主の問いかけに、

ペテロは、

「主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。

   永遠の命の言をもっているのはあなたです」。

あなたのところ以外行くところはありません、と。

 

   十字架の前の晩も

「あなたはわたしの行くところには、

   今はついて来ることができない」と言われ、

「あなたのためには、命も捨てます」と。

 

   結局、三度主を知らないと言ってしまうのですが「命も捨てます」は本心。

 

   今日の箇所の前には、

十字架と復活を語るイエス様をわきへ寄せ、いさめて

「サタンよ、引きさがれ。

   あなたは神のことを思わないで、

   人のことを思っている」。

ペテロは

愛するイエス様が殺されるなんてと必死だったでしょう。

 

   イエス様を愛するペテロ。

「出逢っちゃったんだね」。

しみじみと思います。

 

   私たちも、イエス様と出逢っちゃいました。

♪時の流れに身をまかせ あなたの色に染められ

 一度の人生それさえ捨てることもかまわない 

って捨てると困りますが、愛する人と出逢ったということは分かります。

 

   教会の色に染まる必要はありません。

クリスチャンらしい必要も全くありません。

 

   でも、愛するイエス様に

似るものに造りかえられたいと願います。

 

   ペテロたちは、イエス様と共に高い山に登ります。すると

「彼らの目の前でイエスの姿が変り、

   その衣は真白く輝き、

   どんな布さらしでも、

   それほどに白くすることはできないくらいになった」。

 

   そして光輝くイエス様が、

モーセとエリヤと語り合っておられました。

素晴らしい光景!

 

「わたしたちは小屋を三つ建てましょう。

   一つはあなたのために、

   一つはモーセのために、

   一つはエリヤのために」。

訳が分からずペテロは叫びます。

 

すると

「これはわたしの愛する子である。

   これに聞け」。

雲の中からの声。

 

   ペテロにとっては、ただすごいすごい!

うちの先生、すごいもんや!

 

   けれども、いいえ、大切なことは、

光輝くイエス様こそ、神の子。

ただこの愛する子の言に聞き従うこと。

そのことをペテロの心に刻み込まれました。

 

「『これはわたしの愛する子、

      わたしの心にかなう者である』。

   わたしたちもイエスと共に聖なる山にいて、

   天から出たこの声を聞いたのである。

   こうして、預言の言葉は、

   わたしたちにいっそう確実なものになった」。

 

   ペテロは後に手紙で教会の人々に、

そしてここに集う私たちに語ります。

 

「夜が明け、明星がのぼって、

   あなたがたの心の中を照すまで、

   この預言の言葉を

   暗やみに輝くともしびとして、

   それに目をとめているがよい」。

 

   暗くなること、

がっかりすることは山ほどあるかもしれません。

けれども

明けの明星である主イエス様が再び来られます。

私たちの弱い心の中を、主が照らしてくださいます。

 

   そして今も、神の御言葉、聖書の御言葉一つ一つが

暗闇に輝くともしびとして、

私たちの心を照らしてくださっています。

 

   イエス様が山の上で光輝かれたこと。

それはよみがえり、復活の希望です。

 

  一同が山を下って来るとき、イエスは

「人の子が死人の中からよみがえるまでは」と

復活について語られました。

 

   恐ろしい病気、死、孤独、

この世では悩みが山のようにあります。

しかしそれらを超えた希望、

夜が明け明星、死に勝利された

復活のイエス様が迎えてくださる

希望が与えられています。

 

「これはわたしの愛する子である。

   これに聞け」。

 

   主と出逢った私たち。

愛する主の言、罪の赦しと永遠の命の約束を聞き、

平安の内に行きましょう。