8月30日金曜日
皆様おはようございます。やはり毎日暑いですね!水分補給は充分ですか?エアコン使っていますか?
今日は「ハッピーサンシャインデー」「冒険家の日」「富士山測候所記念日」です。
まず「ハッピーサンシャインデー」について。
なぜ8月30日が「ハッピーサンシャインデー」なのかというと、8月30日という日付が「ハッピー(8)サンシャイン(30)」という語呂合わせであることが由来となっています。
「ハッピーサンシャインデー」を制定した団体は定かではありませんが、この日は「太陽のような明るい笑顔で過ごせば、ハッピーな気分になれる日」とされています。
また、8月30日に生まれた人は素敵な笑顔をしている人が多いことも「ハッピーサンシャインデー」が制定された由来にもなっています。
8月30日に生まれた有名人について調べてみましたが、嵐の松本潤、プロボクサーの元WBC世界フライ級チャンピオン内藤大助などが8月30日生まれだということがわかりました。
確かにこの二人の笑顔は素敵であり、8月の太陽の陽気のように晴れやかな明るい性格をしていますよね。
実際に「~~月生まれの人には~~な性格な人が多い」という統計があるそうで、もしかすると8月生まれの人は陽気な人が多く、笑顔が素敵な人が多いのかもしれませんね。
「笑い死に」という言葉を聞いた事があると思いますが、笑いすぎて文字通り死にそうになってしまうという比喩だと思っていませんか?
しかし、実際に現実には「笑い死に」をしている人が何人もいるのです。
歴史上でも何人もの人物が笑い死にを遂げたとされていますが、近年でも笑い死にしてしまう事例はたくさんあります。
イングランドに住んでいた50歳のレンガ住み職人であるアレックス・ミッチェル氏は、1975年に当時放送されていた「The Goodies」というテレビ番組でキルト姿のスコットランド人がバグパイプを武器に悪者と戦うところを見て、爆笑したあまりに心不全で亡くなってしまいました。
また、1989年にはタイ人のアイスクリーム売りであるダムノエン・サエン=ウム氏が、寝ている間に笑いながらそのまま心不全か窒息を起こしてしまって亡くなってしまいました。
他にも笑い死にの事例は数々存在しており、決して人ごとではないことがわかりますよね。
人間は悲しい時などには涙を流しますが、その正反対の感情である楽しくて笑っている時にも涙が出ますよね。
悲しくもないのに涙が流れてしまうのはとても不思議に感じてしまいますよね。
涙が出てくるメカニズムは人間の「自律神経」に関係があります。
自律神経とは「交感神経」と「副交感神経」の2つとなっていて、笑っている時に涙が流れるのは「副交感神経」が働いているからなんです。
「副交感神経」は人間が悲しんでいる時に傾くものであるのと同時に、実は楽しくて笑ったり、リラックスしている時にも働く神経なんです。
そのため、悲しんでいる時と同様にして笑っている時も意図せず涙が流れてしまうことは不思議なことではないのです。
*皆様は「ハッピー」ですか?コロナ渦中、ハッピーな方はいないまもしれませんね。でも今年もあと4ヶ月。楽しみましょう!
次に「冒険家の日」について。
なえ8月30日が「冒険家の日」なのかというと、8月30日に様々な冒険家が偉業を成し遂げたことが由来となっています。
1965年8月30日に同志社大学南米アンデス・アマゾン遠征隊がアマゾン川の源流からの川下りに挑戦し、3週間かけて見事に130kmという距離を下ることに成功しました。
また、1970年8月30日には植村直己がマッキンリー単独登頂に成功して、世界五大陸最高峰の山々を制覇しました。
更に1989年8月30日には堀江謙一が世界最小の小型ヨットの「ミニマーメイド号」太平洋横断に挑戦して成功した日でもあります。
どの冒険に関してももちろん命懸けの挑戦となり、どれも常人には達成することの難しい偉業ですよね。
マッキンリーの単独登頂を成功させた植村直己は「冒険で死んではいけない。生きて戻ってくるのが絶対、何よりの前提である。」と語っていたそうです。
しかし、1984年2月12日の43歳の誕生日に世界初のマッキンリー冬期単独登頂後に成功した後、翌2月13日に行われた交信以降は連絡が取れなくなってしまい、行方不明になってしまうという最期を遂げました。
その後、それまでの偉業を称えて同年に国民栄誉賞を受賞することになりましたが、冒険とは常に死と隣り合わせだということがよくわかりますよね。
「冒険家」になるためには資格もいらないですし、健康な身体であり自信があればいつでも始められる職業ですが、そもそも謎が多すぎる職業ですよね。
冒険に出るための装備を整えたり、日本国外で冒険するのにもお金がかかりますが、そもそも冒険家の収入がどうなっているのかというのもとても不思議です。
実は冒険家の主な収入源は「スポンサー」となっています。
冒険をするためには多大な資金が必要となりますが、スポンサーを付けることによって資金の援助を受けて冒険へいくわけですね。
しかし、いきなり冒険に行きたいからスポンサーになってくれと頼まれて二つ返事で承諾してくれる企業はありません。
ある程度の冒険家としての実績を積み重ねる事によって、ようやく冒険家としての講演会のオファーや書籍の執筆の依頼などが来て収入が得られるようになるのです。
無名な冒険家であるうちにはスポンサーを付けることは難しく、以上のような活動を繰り返すことによってようやく資金を援助してくれるスポンサーが現れるというわけですね。
日本は英語で「ジャパン」と呼ばれていますが、この日本を「ジャパン」と名付けたのはマルコポーロだとされているのは知っていましたか?
マルコポーロはイタリアの商人であり、当時はアジアへと足を運んで商売を行っていました。
そして、マルコポーロは後にアジアを渡り歩いて自分が見聞きした情報を「東方見聞録」としてまとめるのですが、そこで初めて日本が「ジパング」として登場するのです。
なぜ日本を「ジパング」としたのかというと、当時の中国では「日」を「ジッ」と発音し「本」を「ポング」と発音して「ジッポング」としていたのですが、中国に滞在していたマルコポーロがこれを聞いた結果「ジパング」として伝わり、やがて英語圏では「ジパング」の発音が変化していって「ジャパン」となったとされているのです。
マルコポーロが黄金の国として日本を「ジパング」として紹介したことがきっかけで「ジャパン」となったということですね。
*皆様は「冒険」していますか?冒険家は死を覚悟して、それでも冒険するのですね。
最後に「富士山測候所記念日」について。
なぜ8月30日が「富士山測候所記念日」なのかというと、1895年8月30日に富士山頂に野中測候所が開設したことが由来となっています。
これは大日本気象学会の野中至が私財を投じて建設したものであり、現在の気象庁富士山測候所の前身となりました。
野中至が日本の気象学が発展していくためには、富士山の山頂で通年観測することが必要だと考えていました。
当時の技術では富士山のような高所で気象観測を通年で行うことはとても難しいことだったそうです。
そのため、通年観測についてどれだけ訴えても、そんなことは出来るはずもないと誰も手を貸さなかったのです。
野中至が私財を投げ打ってまで野中測候所を開設したのは、実際に自分が実行して、そうした周囲の目を変えるしかないと考えたからなんですね。
結果として野中至が努力を積み重ねた結果、日本の気象学は大いに発展することとなったのでした。
実は戦時中、米軍には富士山をペンキで赤く染め上げるというとんでもない作戦が考えられていたそうです。
第二次世界大戦が行われていた時代には、米軍に「神経戦部」という部署があったのです。
神経戦部ではいかにして相手の戦意を削ぐことができるのかが日々研究されていたそうで、戦時中は日本軍の戦意を削ごうと作戦を練っていました。
そこで考えられたのが富士山をペンキで赤く染めるという作戦でした。
しかし、実際にこの作成を実行しようとすると莫大なペンキが必要となり、そのためにはB29を3万機用意しなければならなかったのです。
結局はこの作戦は立案されたものの、実行に移されることはなかったのでした。
登山の経験がある人はご存じかと思いますが、山登りをした後に食べるご飯は格別ですよね。
しかし、富士山に登頂してからご飯を炊くと失敗する確率が高く、ご飯が不味くなってしまうのです。
その理由は富士山の山頂の気圧が平地に比べるとかなり低いことが挙げられます。
理科の授業で習ったことがあるかと思いますが、気圧が低くなると水を沸騰させた時の沸点が下がってしまうんですね。
富士山の山頂でお湯を沸かしたとしても約88度ぐらいにしかならないため、お米を炊こうとしても芯などが残って半生の状態になってしまうのです。
せっかく頑張って富士山の登頂に成功したのに、そこで不味いご飯を食べるなんて失敗はしないように、お米はおにぎりなどで持ちこんだ方が良いでしょう。
*皆様は「富士山」に登ったことがありますか?ごみで汚れていますよね?マナーは守らなければなりませんよね?世界一汚い山富士山はいけませんよね。
本日ハナキンもよろしくお願い致します。
★東山凛太朗オフィシャルサイトグランドオープン!!https://higashiyamarintaro.net/