【失敗】って言葉が大嫌いだった私が
【失敗】をウェルカムできるようになった
その道のりで何に出会ったか?
というお話。




うちの子、
知る人ぞ知る
『名言の宝庫』です🤣

7歳にして
深いいい名言集作れるんちゃうか?
って言うくらい。


彼女は、小さい頃から、
よく喋る子で、
言葉覚えも早くって、
そのかわり、
いわゆるイヤイヤ期は、
超長かった。



本人が納得するまで、
テコでもその場を動かんしな。。。
(ホンマ、無理!って毎日思ってた)



チャイルドシートが嫌で
保育園のお迎えに行ったって

乗らない、
お花を見る、
あっちにいく!

ってウロウロして
駐車場で乗れ乗らないの押し問答して
軽く30分超えるとか
ザラでして😵😵😵
ホンマこっちが嫌や!!!
って感じてた。


そんな自分を許せない私自身との戦い。

(もはや、何と戦ってるのか
意味不明な当時の私
→ふぅ…遠い目…(´-`).。oO)


帰り際の保育士さんに
声かけしてもらってやっと乗る、
とか、
「ホンマ先生、神〜〜〜!!!
って思ったし、
我が家に先生を連れて帰りたかったね。


その、イヤイヤ期が
わたしには、どうにもこうにも
イヤで苦痛でして。
私もイヤイヤ期。


そんな時に再び出会ったのが、
パセージ。
子育てのためのアドラー心理学。
私は、
子どもを授かる前から
子育て支援に関わる者として
パセージを受けてはいたけど

【失敗】は嫌いだった。
【失敗】は、
あってはならないものだった。

まだ、硬い殻を持った種の私。


でも、支援者の私が、
子どもを産んで
失敗の連続の過程で、
やっと本当の私が
硬い殻を破って、
芽を出したのかもしれないな🌱


パセージに参加した結果、
【失敗してオッケー】
むしろネタ!
になってきた。


パセージで学べる
子育ての基本スタンスと
技術の部分に関して
色々なことが
ストンと落ちて

【マイナスに見える行動に潜む
プラスの側面を見る👀】

ってことが出来る様になった。



そして、
それができない時は
彼女の問題ではなく、
私の内側の問題なのだ、
と、

私を否定することなく

【私のマイナスの中にある
伸びしろ】

と捉えて
『問題を抱えている私』に対しての
支援やケアの視点を
持てるようになった。


(パセージの講座の中では
ここまでの深さでの話題は
無かったって記憶してるけど
結局ね、
マイナスと思ってることの中にも
プラスはある、
ってことが、腑に落ちたんだね。

問題を外側に置いていた視点から
問題は
『その問題をどうみているか』
という視点の問題、
つまり
問題は内側にある
って視点へと
パラダイムシフトしたんだ、
って思ってる)


我が子に関して話を戻すと、

我が子については、良く言えば、
『自己主張が出来る子』
『興味や意欲がゆたかに湧いている子』
です。

でもね、渦中にいる時は
「いやぁ、そんなん、思えへんて!!!」
ってのが本音。

「そんなぁん、どうやってプラスを見つけんのよっ!!!」
ってところからの
安心安全を感じられるグループでの
対話、というのは
かなり有り難い場だったなって思う。


その場を持ててから
私の課題と娘の課題を分けて考えるようになった。


そして
私の課題に向き合って
私の心の内側の探索が始まり

ヒプノセラピーにも出会い

そこから更に更に
多くの出逢いが
今の私に繋がっている。



(ちなみに、ヒプノセラピーは
パラダイムシフトつまり
視点の変換を体感しまくることができる)


どんな役割もそうだけど
『お母さん』
という役割も
最初から完璧にあるモノではなくて
いつだって
親子の成長の過程の中で、
成長成熟するんだなーって思う。


私が『お母さん』として育つ過程は
とてもエキサイティングで
発見の多いプロセスだと
思えるようになってきているし
実際、色々あるけど楽しい。


子育て、母育ちのプロセスは
根底にある【いのち】そのものへの
愛と感謝によって
彩り豊かに熟成されているのだろうな。


その【いのちへの慈愛】や
わたしのいのちへの安心感を感じることが
どんな問題の根底にも
テーマとして横たわっているんだろな、
って思う。


何が起きたって、
大丈夫🙆‍♀️



長いわりに、
オチがあるような無いような話なのだけど、
ま、ええか。

色々あるけど、
それ、全部ネタやからな。
どんな脚本にするか、
どんな脚色するのかは
他でも無い、自分自身やってことダヨ😎