最近、あるコミュニティで
取り組んでいること
の、ひとつに
自分の役割について考える
ってことがある。



肩書きとか、役割について
考えるとか見直す機会が増えて
過去の私と
今の私と
未来の私とを
見比べてみていて
ひとり楽しんでるんだけど。


色んな方との出会いの中で、
『わたし自身』に
しっかりと輪郭と実感が湧いていて
そこにプラスして
役割がある、
という感覚に変わってきた。



じゃぁ、前はどうだっけ?
ってことなんだけど、



カラダやココロを壊していたときは
私自身、
というものは
どこか隅っこに追いやられて
存在すら無視で
肥大化した役割 だけで
生きていたのだなー
って感じ。


例えば、仕事というのは
役割や肩書きや職業のひとつ
なんだけども
それをまるで自分自身だと勘違いして
24時間その自分で生きている感じ。


仕事をしているときは
それでいいんだけど、
ずっと頭から
仕事が離れなくって
常に緊張状態だった。

そして、
その緊張感が、デフォルトだったから
緊張してることにすら
気づかなかったりして。

そのくせ、頑なに
『これが私だ』と思っていたもんだから
『あなたには、自分がない』
って言われた日にゃあ、
クッソムカついていた。
(言葉汚くってごめんなさい🙏)




でもね、でもね、
わたしが育つ過程で
安泰に思える職業に
すがって
私を社会の中に生かしてきたんだなー。

そうやって適応してきた、
って言うだけの話なんだよな。


それを、
良いとか悪いとか、
ジャッジするから
おかしなことになる。
余計こんがらがってしまうって話。


ただ、職業を生きている状態だとか
単一の役割だけを生きている状態というのは、
非常に幸福度が低くて
依存度が上がってしまうのだ、
というのは
最近強く感じていること。



周りと調和的に生きていきたいと
深いところで感じていたら、
その単一役割状態は、
いつかどこかで
違和感になるんだろうな
と思います。


もしそんな、違和感が出てきているなら
さっさと自分を思い出し
この私に根ざして、
この私の枝葉としての役割を
認識できるように
動いていけたほうが
しあわせだと思うんだけど、
どうかな?


そんな私を生きる人がたくさん周りにいたら
きっと楽しいだろうな、
そう思う。