松代大本営は、太平洋戦争末期に日本の政府中枢機能を移転するために作られた地下要塞です。

1944年7月のサイパン島の陥落後、本土決戦が現実の問題となり、海岸から離れた安全な場所への政府移転計画が進められました。

長野県長野市の松代地区が選ばれた理由は、以下の通りだと言われている。

1,固い岩盤で掘削に適しており、10トン爆弾にも耐えることができる。
2,山に囲まれており、地下工事をするのに十分な面積を持ち、広い平野がある。
3,長野県は労働力が豊かである。
4,本州の中央であり、近くに飛行場がある。
5,信州は神州に通じ、縁起がよい。

いずれにせよ長野県が広大なのと、山脈は地上戦に優れていると思われたからだろう。

 

この計画は、天皇や皇后の御座所、帝国軍司令部(GHQ)、中央官庁を長野県長野市松代地区の地下壕に移すというものでした。

しかし、敗戦(ポツダム宣言の受理)により計画は未完成のまま終わった。

 

当時の技術的な問題や、敗戦目前の物資不足、本土決戦が近いことによる突貫工事により多くの労働者の犠牲を出した。

当時の日本帝国の一部だった朝鮮からも労働者が動員された。