(厳密には「イスラエル国主義」と呼ぶべきであり「原理主義」と呼んでいいのかは悩ましいですが、世間では原理主義で通っているのでこう呼びます)

ディスペンセーション・空中携挙・艱難前携挙について私がなぜ批判的かというと、次の点です。

 

 

☆ポストキリスト(反キリスト)はまだ到来していないという考え

 

☆クリスチャンは大患難の裁きは受けないという考え

 

☆艱難期はたったの7年(三年・三年論)

 

という部分です。

私があまのじゃくなだけなら良いのですが、そこまで都合よく進むでしょうか。

陰謀論をかじってきた身としてはそんなに上手くいくのか。

もしも従来の反動派の意見が正しくて、「反キリストはローマ教皇、牧師、自称預言者として到来していて、この世のキリスト教やキリスト教会自体が大バビロンだった」としたら。

むしろキリスト教宗教そのものが人類を捉える罠として機能してはないでしょうか。

 

そもそも「携挙」という概念自体が一部プロテスタントの独自の協議ですし。

 

 

 

↓ディスペンセーション主義の歴史観と未来予想

 

 
 
 
↓既にポストキリスト(反キリスト)は到来しているという見方
 
 
あなたはどちらを信じますか?
 
ディスペンセーション・ネオシオニズム・艱難前携挙論者は、
「将来、世界統一政府ができて独裁者が到来する」という考えを持っています。
教会の権威、牧師、神父、ローマ教皇が既にポストキリストの可能性は無いのでしょうか。
 
「キリスト教」も人類が発展させてきたので、当たり前ですが罪と呪いに満ちていると私は思うのですが、、。
 
 
ホログラフィで偽の再臨なんかは再現可能だと思うし。
ハーベストタイムの中川健一さんなども突然雲隠れしても「彼は携挙されたんですよ。あなたが地上に残っているのは貴方の信仰心が足りなかったからです」と言えそうですし。
 
 
 
※反キリストとは救世主に反対する人ではない。厳密には、「キリストにとって代わる人」なので、
「新しい教祖」「超キリスト」「ポストキリスト」の方が妥当か?