よく「日本人はキリスト教が嫌い」「日本はキリスト教が普及しなかった国」だと主張する人が居ます。
右翼はこれを「日本人が賢くして、一神教の欺瞞性を見抜いたからだ」と日本的な精神世界の優位性を誇り、
逆にクリスチャン自認者は「日本はキリスト教が迫害されている」「だから日本人はダメなんだ」
「日本人は同調圧力が強くて、他人と違う事をするのが嫌だからだ」と言います。
これらは、日本でキリスト教は普及しなかったという前提で考えられている理論です。
このテーマの大問題は、
「教会籍を持って、日曜日に礼拝して、10分の1献金なり何か献金をしなければクリスチャンでは無い」
という考え方が世に広まってしまっている事です。
私みたいにどこの教会にも所属しないし、土曜日に個人で聖餐式(せいさんしき)をしている人は統計上は無宗教とされているのでしょう。
また私は洗礼はうけましたが「洗礼式をしないとクリスチャンでは無い」という考えは根強いです。
さらに『熱心な原理主義者』は「生ぬるい信者は、吐き出されるので信者ではない」として兄弟姉妹とは認めない人が多いです。
なので統計上は1%だと出てしまうのでしょう。
しかし、聖書の価値観に共感する、キリストが罪を背負った救世主だと漠然とでも信じる人はもっと多いのではないでしょうか。
また後述するように、日本の左翼運動と左派キリスト教会は一体化しており、旧被差別部落者や在日コリアンのクリスチャン率はかなり高いです。
・近代日本の政治はキリスト教会権力が大きく関与した
歴史的な資料に基づくと、近代日本国家は近代キリスト教運動の影響を政治面で濃く受けています。
実際に明治以降の日本の政治はキリスト教勢力が良くも悪くも(どちらかと言うと悪い部分が多い)牽引してきた節があります。
社会主義運動と部落解放同盟などは明らかにキリスト教左派勢力と連動していました。
賀川豊彦などはその典型例ですね。またNHK(日本放送協会)や生活協同組合の成立にも、共産主義グループと連帯していました。(私は賀川一派らは極左だと思っています)
政治的に日本帝国時代のキリスト教諸勢力は近代主義の普及に良くも悪くも(むしろ悪い)貢献してきました。
ちなみに革新的右翼は日蓮宗・日蓮正宗系の影響力が強いと思われます。北一輝や、他にも宮沢賢治のいた國柱会が分かりやすいですね。
また旧被差別部落や在日コリアンの人のキリスト教率はかなり高いです。
伝統宗教や神道への反感が強いのもあるでしょう。
部落解放同盟の旗は「いばらの冠」です。これは全国水平運動(身分制度撤廃)とキリスト教運動は連合していたからでしょうか。
・残念ながら「護憲運動」と左派キリスト教は今も連合している
ではこれは喜ばしい出来事なのかと言えば私はそうとは思いません。
残念ながら、日本のキリスト教会運動は社会主義運動と連帯しており、護憲や緊急事態条項反対と、国家や家族にとって有害な運動をしているのです。
護憲運動から以下に卒業できるかが、今後のキリスト教運動のターニングポイントですが、おそらく難しいでしょう。
護憲や反軍、脱原発は戦後日本の最大のドグマであり、その洗脳は強力だからです。
階級闘争や民族間闘争から脱却しないと「キリスト教会」宗教はこのまま衰退するでしょう。
日本共産党の補助機関として党と共に消滅していくと思います。