何度か書いていることだが、ブログというメディアの性格上、何度も同じようなことを書く。
山本夏彦はそれを「寄せては返す波の音」と表現した。(^^)

 

このブログを開設し記事を書き始めたのは2012年の初めで、
その後、それ以前に開設していた(今はなき)ヤフーブログの記事を吸収統合して、今に至っている。

当時はブログタイトルも別のものだったが、「22世紀塾」というネーミング自体は、それ以前、1990年代前半、20世紀のうちに思い付いていた。

 

私自身は1961年生まれで、幼いころから、未来という意味で「21世紀」という言葉を頻繁に目にし耳にしてきた。
1970年の大阪での万博など、まさに「その時点における21世紀像の提案」だったと感じている。

だが、1990年を過ぎると、21世紀はすぐ先の「現実」となり、日本ではバブル経済が崩壊。
実際のミレニアム時期、人々はコンピュータの「2000年問題」だの、米国の同時多発テロだの、むしろ「昔の技術思想の幻影」に、おびえながら、21世紀を迎えたのではないかと感じている。

 

当時の自分が、その現実を乗り越えようとしたのか、あるいはむしろ目を背けようと思ったのか、記憶は定かではないが、
人は未来に向かって行動しなければならない、いや未来に向かってでなければ行動できないのではないか?というのが「22世紀塾」という言葉の発想の源である。

 

自分たちのいなくなった世界、それこそが「未来」じゃないか、私利私欲から離れたところにこそ「真実」はあるんじゃないか、と思っていた。

 

そして、自己啓発や政治活動などに使っていた「22世紀塾」というネーミングを、このブログのタイトルにしたのは、はっきりした記録はないが、2014年、今から10年前のことだったようである。

 

さて。

 

2024年今年、二人の姪に、それぞれ子供が生まれた。
2101年、22世紀を迎えるとき、その子らは77歳、今の平均寿命より若い。

ということは、死んでしまっている可能性はきわめて低い。
喜寿という習慣が残っていれば、元気に22世紀を迎えたといって祝っているだろう。

 

彼らにとっての22世紀は、自分自身にかかわってくる、ほぼ「現実」なのである。

 

だからといって、私自身の行動や発言の何が変わるわけでもないが、

心構えがちょっと変わった。
 

22世紀塾というネーミングに、より責任感のようなものを感じている。