そもそもが政治塾で勧められて始めたこのブログだが、
10年以上のいろいろがあって、最近は政治に関する言及は、わざと避けてきた。

 

裏金キックバックの露見から始まり、
政治資金問題が最大のポイントだったはずの国会が終わり、

東京都知事選挙が始まったこのタイミングで、

備忘録的に、コメントを残しておきたい。

 

ひとつめ

 

裏金議員を無罪放免にするような改革法案を通したことで明らかになった通り、

政治献金やらパーティ券収集やらという名の「賄賂」こそが、

自民党という政党の「本質」なのである。

 

政治にはカネがかかる、というのは、単にカネを持たないものへの参入障壁だし、

賄賂部分を減らすべく導入された政党助成金は、賄賂部分を残したことで

より少ない賄賂で、おおぜいの政治家を動かせるようになったに過ぎない。

 

既得権益にしがみつく国民が、既得権益にしがみつく政治家を選び、

既得権益でがんじがらめの国になってしまったと見ている。

 

そして、それでもなお、この状況を変えられるのは、政治しかない。

「よりまし」な方向への、投票をよびかけるしか、ないのである。

 

ふたつめ

 

小池都知事への最有力対抗馬は、蓮舫だろう。

しかし、あまりにも二人は似ている。

 

才色兼備を求められる、ニュースキャスターから政治家への転身

自らが主役となり、インパクトのある「見える政策」を打ち出して人気定着

出自や学歴に、他国がらみのスキャンダルネタを抱えていることまで同じ

 

知事を選ぶはずの選挙で、堂々と「売名行為」を繰り広げるもの

犯罪も、選挙活動の自由の内だとうそぶくもの

 

よい子は真似しません、と、声を大にせねばならぬ選挙とは

亡国も極まれり、である。

 

そして、それでもなお、知事選はこの国で最大の直接選挙であり、

有権者は、「よりまし」と思える人を、選ばねばならない。

 

結論

 

本能を失った代わりに

社会を作り、団体戦で自然環境に立ち向かうことで、

人類は「人新世」と言われるほどに地球環境そのものさえ変えてしまった。

 

一方で、他人を脅し、生命財産を奪うことで、自分たちの生存と繁栄を守ろうとする古い考えも、

いまだに社会に大きな力を持っている。

 

大東亜戦争、連合国に負けたことで、

庶民は家族を戦争で失う恐怖から解放され、

百姓たちは小作から地主になり、

日本は豊かな国に生まれ変わった。
女性の選挙権・被選挙権が得られたのも、敗戦ゆえである。

 

その歴史、幾多の犠牲に、心からの敬意を持てぬものが

後世に尊敬されるような仕事など、できるものではない。

 

おまけ

 

となみ演劇鑑賞会の例会で、
東京ヴォードビルショーの「その場しのぎの男たち」を見た。

三谷幸喜作の、見どころの多い、大変よくできた喜劇だったが、

石倉三郎の扮する伊藤博文が、時の首相・松方正義に、

「君はなにもしなくていいんだ、何もするな」という場面がある。

 

議員内閣制には、真の実力者と、表に立つ政治家を分離する側面があって、
それは発足した明治のころから変わらないようである。

 

あてどない「投票」なぞに頼る民主主義そのものが、

あるいはそういう制度なのかもしれない。

 

無能でも、人気があれば政治家になれるし、

そもそも、政治家の「能力」とは、人気を得ることでしかないのかもしれず、

 

それでも、それを守るのも変えるのも、政治しか、ないんで。

 

(画像は、地方新聞一面より、亡国の象徴、少子高齢化のニュース)