人生の目的は、自分が幸せになること、という。

幸せの感じ方は人それぞれではあろうが、いわゆる「福(子供に恵まれる)禄(財産に恵まれる)寿(健康長寿に恵まれる)」というあたりが一般的なものだろうか。
動物たちはそんなことは特別に考えもしないで、本能的に「危険を避け、餌をとり、子孫を残す」ために一日を過ごしていて、それが満たされれば、たいがいゴロゴロしている。

 

一人前の大人といわれる人たちは、仕事をすることを習慣としていて、それは主に、給料、先に書いた中では「禄」を得ることを目的としている。

週40時間というから、一日24時間×7日=168時間の1/4である。人生の1/3は寝ているとして、起きている時間の36%は勤務時間で、これに身支度や通勤や食事の時間でさえ「働くために」費やされている。

給料の高い安いも気になるが、それ以前に、仕事に行くのが楽しみ、というくらい、楽しく働けなければ、生きていても甲斐がないのではないか、と思っている。

 

仕事の楽しさは、なんといっても、「ほかの人の役に立っている」という実感だろう。
木工なら、出来上がった仕事がお客さんの予想通りとか予想を超えているとかいわれると、うれしい。介護の仕事なら、利用者さんに、楽しかった、ありがとうと言われること、それこそがやりがいであろう。

 

そして、そう言われるために、そして人から言われる以上に、自分自身がほかの人の役に立っていると実感するために、私たちは技術を磨いている。
先輩たちの積み上げてきたやり方を身につける。ちょっとした表情の変化から、利用者さんの体調や感情の変化を読み取る。マニュアル通りであまりうまくいかないところに新しいやり方を思いつく。そのための勉強もする。提案してみたことが否定されたり、試してみてもうまくいかなかったら、また別の方策を考える。

すべてが、技術を磨くということで、その結果、「私はほかの人の役に立っている」という実感を得ることができる。それはお年寄りでも障がい者でも、給料があるとかないとかということとも関係なく、「生きる楽しさ」なのではないだろうか。



「自己肯定感」とか「自己重要感」とか「自己効力感」とかという言葉があるが、私は「自己有用感」という言い方がいちばん分かりやすくて的を射ていると思っている。

いろいろあったけど、まだ自分の技術が、誰かの役に立つかもしれない、ということが、いまの自分を支えている。