昨年末は、母親が体調を崩した。
さまざまなイベントや団体から、できるだけ撤退しようと考えていながら、
なかなかあとの始末がつけられず、ぐずぐずしていた一年だったが、
考えてみれば、始末をつけるのは後の者の仕事だ。
まずはあっさり、もうやめる、といってしまう方がいいのかもしれない。

 

大みそかは、文句を言いながら紅白をみて、

元旦は、女房の実家で、

2日は妹の一家が遊びに来る、3日連続の宴会

 

 

 

 

そんな年末年始のルーティンが、地震で崩れかけた。

30秒ほどだろうが、揺れている間、声も出なかった。

 

ウチの被害はいうほどのこともないが、
震度6や7では、古い住宅やビルが崩れ落ちるのも無理はない。

能登から氷見にかけての広い範囲で、数万軒という単位で、今も断水や停電が続いていて、気の毒なことである。

2日の夜になって、羽田で、支援物資を乗せた海保の飛行機と、全日空の旅客機が衝突したという。

大荒れの年明け、
もうこのあと何が起こっても、驚かない気がする。