今年(2023年)、宝田家具で働いていた方が、二人亡くなった。
お一人は満百歳、享年101歳であった。ご長寿の時代とはいえ、男性で100歳は珍しかろう。
若いときはエリートで、終戦時は東京で近衛兵だったという。
外地からの引き上げや、戦死傷病には恩給年金がついたが、内地組には何もなかったそうである。
家は山野(旧井波町)の中堅農家で、
零細小作から、土地の所有権である「高」を買って財産にしていたが、
戦後の農地解放で、権利は雲霧消散したという。
勤めていた建具製造会社が倒産したあと、労働組合の長として全員の再就職を世話して、
最後本人は、うちのような零細に来た。
親方であるうちの親父より、八つ年上だったことになる。
無口だが手が早く、きれい好きで、もちろん仕事もきれいだった。
当時、まったくの素人だった私も、いろいろ教えてもらった。
四輪の免許を持たず、70代半ばまで、雨の日も雪の日も、カブで通ってきてくれた。
損得でいえば、損の多い人生であったろうと思うが、
亡くなる当日の朝まで、自分でご飯を食べていらっしゃったという。
人徳である。大往生といってよかろうと思う。
もっといろいろきいておかなければならなかったと、悔やむばかりだ。