1月末の今頃になって、年賀状の話なのも恐縮だが。

年はじめは、何かを始めるにも整理するにも、絶好のタイミングであり、
年賀状なども「整理」するなら今だろう、というのがこの記事である。

思えば、

年末年始の忙しい時、その忙しさに拍車をかけるのが「年賀状」だろう。

近年では、メールなどに押されて、その枚数も激減しているし、

環境保全や断捨離・終活などの観点から、年賀状をやめるという人も増えている。

 

それもいいだろう。


ただ、整理、といっても捨てるばかりではない。

 

その存在を意識し、意味を考え直し、

人間関係、人脈を整理することで、

インテリア的な「定位置」も決まってくるのではないか、という話である。

 

まずは、

年賀状は何のためにあるのか。

何を期待して出しているのか。

 

親戚や古い友人への挨拶と近況報告

互いにやり取りして、無事や異動を確かめ合う

仕事関係の挨拶と宣伝
なにとぞ引き続きのお付き合いを、というお決まりの、しかしながら大切なやり取り

いつも年賀状もらう人への御礼、という意図もあるだろう。

 

一言でいえば、年始の挨拶、同じ図柄で効率的にやっているというだけのことかも。

 

では、挨拶とは何ぞや。

慣例や、送る相手の心象をよくするための習慣だというだけの、

いわゆる「虚礼」なら、やめたほうがいい。

 

ウチは、やめない。

 

思えばウチの場合、そこに、

148×100ミリの紙サイズに応じた「表現」を乗せてきたように思う。

読む人に面白がってもらいたい、楽しみにしてほしい、という

サービス精神といえば聞こえはいいが、まあ自己満足であるが、

それが、ウチにとっての「挨拶」なのである。


星の王子様ではないが、

空気やエネルギー同様、

人間にとって大切なものの多くは目に見えない。


大切な「人間関係」について、

自分の歴史に応じて、見つめ、考え、

目に見える形にすることができる

年賀状は実は絶好のツールだろうと思うのである。

さりとて、特別なことをしているわけでもない。


近況報告、主に、旅行先での家族写真と、なにか一言

(子どもだけの写真は、親の友人にはほとんど価値がなかろうと思っている)

 

そういう年賀状をくださる友人も多い。


変わっていくこと、変わらないこと、

互いによろこびあって、そして何年かの変化もさかのぼることができて、

 

年賀状は、整理して、財産となる。

写真のアルバム同様、私は、価値ある紙情報として取っておきたい。
インテリアの一部にそのためのスペースがあるべきだと思う。

 

ウチは年賀状、やめられないのである。

 

(写真は今年のウチの年賀状)