就職先も、仕事の付き合いも、趣味や思想の面でも、
あまり大きな組織に属したことがない。

あえていえば、人生でいちばん大きな所属先は「出身大学」であろう。
だが、「所属している」という意識は薄い。
スポーツに打ち込めば、チーム・種目団体・大会運営など、さまざまな上部団体を意識するのだろうが、
スポーツは、特に団体競技が苦手である。

組織論は、頭ではわかっているつもりだった。
肌で感じるという経験がなかった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

話は、参院選の富山選挙区のことである。

 

富山も全国32の一人区の一つとして、「野党共闘」が行われた。

市民と野党4党の無所属統一候補、である。

このブログやフェイスブックをご覧いただいている方ならお分かりの通り、
けっこう本腰を入れて応援していた。

九条救助隊としても、「アベ政治を許さない」という気持ちは強い。

 

そして、敗れた。

相手は2世。自民王国の富山で、参院3期目に臨む49歳、死角なし。
かつて国民新党が応援した候補に敗れたことがあり、油断もない。
落選そのものは、仕方がないという面もある。

 

しかし、その「内容」が悪い。票数・得票率が少なすぎる。

 

「赤旗」に、グラフが出ていた。



32人の「野党統一候補」の、それぞれの選挙区得票が、黒い左の棒、
同じ地区の比例区投票で、「4野党」の得票を足したものが、右の黄色い棒。

 

その比率を計算し、数字の高い順に、並べられている。

福井の横山さんは5番め、138%、石川の柴田未来は12番目、125%。

当落は、その他相手の状況もあるので、このパーセンテージときっちり連動はしないが、
ほとんどの候補は、共闘であることで、無党派からも支持を得た、ということがわかる。
そもそもが、そのための「共闘」であり、その「効果」を伝えるための棒グラフである。

右はじが、われらの候補である。
76%
香川の「共産党公認野党統一候補」田辺さん85%をおさえて、ダントツの最下位だ。

4野党の支持票さえもまとめられなかったのである。

 

はじめに言っておくが、断じて候補者個人の責任ではない。

彼女を担いだもの、あまねく責任がある、というものでもないだろう。

戦略・戦術に「まちがい」があったのだ。
選挙対策本部、
 

というか。

あえて独断で言い切るが、
推薦するふりをしながら選挙対策本部にも参加せず、

運動もしなかったものの責任である。

 

 ◇ ◇ ◇

 

田舎で、就きたい仕事といえば、

 

 県庁キャリアを頂点に、警察消防学校の先生を含めた公務員、
 次いで安定して処遇の良い、農協などの団体職員や、労働組合のあるような大手企業

 あとは親の代からの自営業者・経営者、または医者など士業
 

であり、おおむねそういう人に、生活の余裕もあり、社会的な役職も回ってくる。

そういうところに就職していれば、縁談もまとまりやすい。

いわば、既得権益への仲間入りである。

よっぽど酒の入った席でもなければ、政治批判はタブーだ。

もちろん、政治信条は自由であるべきだが、

飼いならされて思考停止でいることほど、楽なことはない。
 

そして、公務員などの労組は、団結力はあるが、表立った選挙運動を禁じられている。
 

大手企業では、労働組合員といえど、労働者への配分より、グローバルな競争をどう戦って企業が維持発展できるか、の方が大事だろう。
経営者は敵ではなく、目標でさえあったりする。

経営者や士業は、そもそも一匹狼で、
所属する団体といえば、議員や首長をヨイショし、利益誘導するための業界団体ぐらい。

 

いわゆるリベラルは、まとまらない。
弱小のまま吠えるだけ、
自分の組織を守ることに、手いっぱいなのである。

 

 ◇ ◇ ◇

 

商売は、ヒト(売り込み)・モノ(商品)・カネ(店舗やプロモーション)だという。

商品そのもののチカラは1/3、それをフォローする組織のチカラの方が大きい。

 

選挙は、地盤(組織)・看板(知名度)・カバン(資金)、だという。

今回18日間と、いかにも長い選挙期間のある参議院でも、
この3バン、どれも、立候補後、選挙本番になってから何とかなるというものではない。
 

立候補前に、どれだけの組織がつくれるか、

立候補後に、その組織がちゃんと運動するのか、
勝負はそこなのだ。


選挙戦は基本、ボランティアとカンパでまかなうことになっている。

立候補は個人の思い(プラス、供託金)で、できても、
個人として協力してくれるのは、家族と親戚、せいぜい近所や同級生までだ。


すでにある組織のチカラを、無視したとする。
世のため人のため政治家になるのだ、と訴え、

いかに人格立派で、すぐれた政策を世に問おうとも、
他人から、動員や資金援助など、あろうはずもない。

 

ポスター貼りに人が要る。
選挙カーに運転手やウグイス嬢が要る。

のぼりがあれば持つ人、チラシがあればまく人が要る。
演説会に聴衆が要る。拍手と掛け声が要る。


人が見ている。マスコミが写真を撮る。

うわべがちゃんとしているかどうか、数がどうかだけが、多くの有権者の興味だ。

勝とうと思えば、何もかもきれいごとではすまない。

 

選挙は主として、組織力なのである。

 

そして組織力とは、

個人が、目的のために行動した時間の、人数分の総合計、である。

「義理で仕方なく」でも、「やむにやまれず」であっても、同じ。
行動と、人に行動を促す言葉、それだけが「力」だ。

 

候補者というものは、ほとんどが、組織の代表である。
名目の組織ではなく、実際に運動する組織の代表として、政治的な主張を語るものだ。

組織力のある組織だからこそ、候補を立てることができ、
候補に影響を与えることができる。

候補の財産など、知名度ぐらいのものだ。
だから、2世が流行る。
候補が、組織を変えることなどできない。組織に縛られることならある。


統一候補が言える内容は、政策協定で許されたものだけになる。

 

候補者個人の力も発揮できずに、どうやって組織力など発揮できようか。

 

 ◇ ◇ ◇


大きな組織になればなるほど、

組織自体の目的以上に、組織を守ることにエネルギーを注がねばならず、

自分では、そういうことが嫌いで、組織からは距離を置くようにしてきた。

 

つまりは、人間が選挙向きではないのだ。

今回、つくづくそう思った。


内部の敵をつぶす迫力なくして、外の敵と戦えるわけもない。

にわかづくりのナーバスな組織なら、せめて裏に策士がいなければならない。
 

敵の敵は味方、敵を欺くには味方から、敵は本能寺にあり。

わらわば、わらえ。
自らが選挙に出て4年、ようやく今から、政治組織について考え始める。