自分個人やこのブログに「主張」があるとすれば、「長期的視野で事に当たれ」「地球の視点で現在・現場・現実を見よ」という、ただそれだけのことだ。

ちょっとした想像力の問題である。
歴史的あるいは論理的な「背景」がわかっていれば、目の前のことやニュースに、自分の頭で「意味付け」ができる。

九条救助隊でも、まず最初に、憲法をちゃんと読むことが大事だ、と言ってきた。

日本国憲法を前文から最後まで読めば、9条がこの国の基本・基礎であることがわかる。
国民主権という「仕組み」も、基本的人権という「哲学」も、全体主義的な戦争を「しない国」にするために定められているようにさえ思う。

9条を変えることは、「クーデター」「革命」に近い意味を持つのではないか。

まして、「解釈」で主旨を骨抜きにしようとは、政治家たるものの風上にも置けないという話だ。

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憲法と同等、もしくはそれ以上に、この国を規定しているのが
日米安全保障条約だ、と思っている。

皆さんはその原典を読んだことがあるだろうか。
全5条のものを、岸政権が60年に改定して、それでもわずか全10条。A4用紙なら2枚分ほどだ。
外務省のサイトに全文出ている。

冒頭から国連憲章に基づくと強調し、両国の憲法に従ってという、おおむね理念的なものだ。
経済協力が、軍事協力に先んじて書かれている。
「協議」すること、「共通の危機に対処する」ことが書かれている。
私に言わせれば、具体的なのは第6条だけで、米軍が日本の基地を使えること、詳細は日米地位協定によること、その2点がしっかり書かれている。
(ちなみに地位協定は全28条、いちいちの項目が多く、簡単に読みきれないほど長い)

首相が読んでいないと言ったポツダム宣言は、13項目、とても短い。
国民の命と暮らしは助けてやるから、獲得した領土をすて、武装解除せよ、と言っている。

現憲法は、ポツダム宣言にもとづいて、できている。

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紛争にあたって、多くの場合その理由となるのは「他国の侵略、またはそのおそれ」である。対する「軍事的制裁」が紛争の端緒となり、報復の連鎖が拡大したものが、戦争だ。

恣意的に「他国の侵略」を言い立てないための
「侵略の定義のための条約(決議)」というものも、ある。(1933年)

1974年には、現国連でも採択されているという。

第2条で先制攻撃を条件にはしているが、ここでのポイントは第3条、さまざまな武力行使を「一国で行う」ことは「侵略」だと規定していることだろう。

してみれば、集団的自衛権を許すことは、
アメリカの戦争に日本の自衛隊が後方に従うことで、「複数国による制裁だから、侵略ではない」と、言い張るための方便にもなってしまう。

日本が戦争に巻き込まれるどころか、アメリカが戦争を始めるための、言い訳に利用されかねないのだ。

日本は九条を持つ法治国家で、国連にも加盟している。
国連憲章以下、今の世界は、戦争が起こらないよう、不十分ながらシステム化されている。

システムの抜け道を探るやり方は、人間として「卑怯」の一言に尽きる。
歴史的長期的視野もなければ、地球的全人類的なな知恵にも反する。

だから私は、安倍首相とその取り巻きとの、行為と言動を、非難するのだ。



※自分の出欠は未定だが、7月11日には富山城址公園で大きな集会があるので、その画像。砺波地区からもバスが出るようだ。


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