沖縄戦が終わって70年という。
安倍首相も、戦火に倒れた人のことを思い、平和への誓いを新たにする、というようなことを言っていた。詳細を読み比べてはいないが、あっちでとこっちでとは、言ってることが違うんじゃないか、と思う。

普通の人は、五十回忌で法事もおしまいだが、
仏教で上人と呼ばれる人や、さまざまな偉人は、没後100年、150年、・・・750年、と記念行事があったりする。
今考えるべきは、戦後70年ではなく、戦後100年、つまり今から30年後に向けて、
何を残すか伝えるか、よりも、何を目指すか、ではないだろうか。

日本は、核兵器も戦争もない世界をめざして、生まれ変わった国だったじゃないか。

あらためて、あと30年かけて、真の世界平和を目指す、と
リーダーたるもの、何のてらいもなく、言い放ってもいいのではないか。

実現する可能性なんて計算する必要もない、
ただ目指す、というそれだけのことを、
どうして誰も言わないのだろう。

  ◇

私の「サイレントアピール」が新聞に出たりしたので、
九条救助隊にも参加してくれている人が、
2~3人で、朝ときどき、
太郎丸交差点に立ったりしているようである。

憲法違反を指摘されても動じず、3ヶ月以上の会期延長をして、
何が何でも安全保障関連法案の成立をはかる、という政府に、
ここはやはり、粘り強く反対を表明しなければ、ということだろう。

月一度の「救助隊活動」では、足りないのだ。

やむにやまれぬ、おっさんの立ちんぼ、である。

ある方が、何かと駄洒落ばかりの私に賛同?して、
「サイレントアピールだから、寡黙、火木、『火曜と木曜』に立つのはどうか」と言い出した。

このアイディアにも、すでに賛同者がいるという。

もとより、反対する理由はない。

私は毎回出られるとは限らないが、
来週から、火木の7時から8時まで、9条(平和)のために、
砺波市の太郎丸交差点などで、おっさんたちの「カモクな立ちんぼ」が見られることだろう。

あなたも、どうだろうか?



(写真は、6月9日の様子を取材した、北陸中日新聞さんの記事)

サイレントアピール