「九条救助隊」に象徴されるように、
「積極的平和主義」だの「集団的自衛権」だの、
言葉としてすでに矛盾してるんじゃないか、というようなことを主張する首相に、警戒を怠ってはいけない、というようなことが、このブログの一つの柱である。
2月8・9日の映画「ひまわり」上映会の記事には、
日本人なら、「広島」「長崎」そして「福島」「沖縄」への負い目を、けして「ないもの」にしてはいけない、と思っている。
と書いた。
政治の「被害者」など、言い出すときりがない。
この部分は自己責任、など、切り分けるのも難しいし、
人の命に、そもそも「損害賠償」などできるわけもない。
しかしそれでも、不平等の存在を「見ないふり」するのは、卑怯なことだ。
被害者・被爆者への差別には敏感でなければならない。
過去を引き継がない者は、信用されない。
日本は70年前、国一丸となった戦争に、敗けたのである。
直接の被爆者がみな亡くなっても、
被曝のイメージは、県単位で、100年だってつきまとうだろう。
沖縄や福島は、今受けている被害が、これからいつまで続くのかもわからない。
100年先に恥じない生き方とは、こういう「歴史の負い目」から、逃げないということに尽きるだろうと思うのだ。
(画像はネットにて「広島」で検索、最初に出てきた原爆ドーム)