会期末間近の「成田亨 ウルトラマン創造の原点」展
ロビーで目を引く「ブランカー像」(下記)を実際につくった、注目の造形作家清河北斗氏のギャラリートークがあるということもあって、昨日29日に行ってきた。

ブランカー


こういう、戦後(20世紀後半)の、テレビなどマスコミ・企業活動と連動した、商業的な成功を背景にした美術展を、私は密かに「現在展」とよんでいる。
扱う時代としての「現代」ということもある。そして、あるスケールを超える美術活動は大衆ビジネスと切り離すことのできないという「現実」を反映している。さらに、美術館運営上の都合(動員力)という意味でも、時代の「リアル」が展覧会に影響している。

非難めいたことをいうつもりはない。それは当然であり、必要でもあることだ。
印象派や、純粋美術と言われるものを見るのとは違う視点が、私の中に生まれる、というだけのことだ。

今回の成田亨展、主催サイドとしての狙いとしては、ウルトラマンなどの人気キャラクターの生みの親というより、アーティストとしての成田亨を浮かび上がらせたいということだろう。
ポスターやチケットでアイコンとなっている彫刻「翼を持った人間の化石」(1971)は、その象徴だ。

いかんせん、ポスターでは岩の塊にしか見えないが。(^^;)

全体として年代順の展示なのだが、途中、近代美術館の構造を利用して、展示の流れとは別に「ウルトラマンの墓」(1991)が置かれていた。
これも、カジュアル化し、ファミリー設定されていったウルトラマンへの、生みの親からの別離宣言となっている。成田は終始、自分の手を離れて以降のウルトラマンには批判的だったようだ。

今回の展示会の成田作品は、出品リストを合計すると、682点にものぼる。
そこから浮かび上がる氏の仕事の中心は、ウルトラQ(途中)からウルトラセブン(途中)までのクリエイトを中心に、異型のもの、架空の生物、未来的なメカに、「キャラクター=特徴・性格」を吹き込む作業であったように思う。

「見たことがないのに、どこかにいそうな」リアリティは、「ポージングやディテールに見られる、かっこよさへのこだわり」、「実際の生き物を元に、骨格など理にかなった造形」(ギャラリートークでの発言より)によって生まれている。

特に「かっこよさ」へのこだわりは、初期作品の強烈な輪郭線からはじまり、抽象図形や無機物と人間とが高度に合成された、ヒューマンやバンキッドにの造形に結実している、氏の真骨頂だろう。

残念ながら、円谷プロを離れて以降、想像された生物としてのリアリティや、宇宙兵器のリアリティは、なかなか商業的な成功には結びつかなかった。
また私にも、この方面で、それ以降の「深まり」というのは、あまり感じられなかった。
むしろカネゴンやバルタン星人の「無理やり」なコンセプトのほうが、子供心にも印象的なのは皮肉なことだ。

年表などを見ると、ときおり訪れるウルトラマンブーム以外、成田氏はいち造形作家として、映像作品の「陰」で仕事をしていたようである。

その一方で否定できないのは、こうやって氏の仕事が「現在展」として評価されるのは、ウルトラマンが商業的に続いてきたからだ、ということであろう。

氏の造形の「リアル」があればこその「ウルトラマン」
その氏の仕事があればこそ、映像シリーズ作品「ウルトラマン」がヒットするという「リアル」
そして、満足ではないにしろ、成功という「リアル」が現在に至るまでの氏の評価を支えているという「リアル」

万博やオリンピック、建築や乗り物、そして特撮作品やアニメが、僕らの子ども時代を作っていた。
クリエイティブな現場の「リアル」と、ビジネスベースの社会的な「リアル」との、激烈な「せめぎあい」、それぞれのリアルを追求する、情熱とパワー。
そういうものを圧倒的に感じて、こういう質の高い「現在展」に出会うと、私はなんだか呆然としてしまうのだ。


成田亨展は今日明日(~8/31)でおしまい。その後は青森と福岡に巡回する。

成田展


2Fの常設展には、岡本太郎の「明日の神話」が出ていた。
成田氏は大阪万博の「太陽の塔」の内部造形も手がけていて、若干小学校3年生の私も当時見たはずだが、よく覚えていない。ネットにもあまり資料のないこの内部展示に、俄然興味が湧いてきている。

円谷プロとウルトラマンの現在については、登録が必要だが、下記日経の記事も面白い。
ウルトラマンが泣いている 円谷プロの栄光と挫折

成田亨氏、ウルトラシリーズについて説明の足りない点は、各自で検索していただければと思う。