昨日の新聞には、開業日や列車構成が発表された北陸新幹線の延伸開業についての、解説や論評がたくさん載っていた。
県西部の友人たちのFacebookでの発言は、「かがやき」が新高岡に止まらないことへの失望が多かった。

写真は一ヶ月ほど前、城端線の車内から撮影した、工事中の新高岡駅である。

新高岡駅


砺波地区から東京なら、城端線→特急「はくたか」→上越新幹線、だったものが、城端線→新幹線「はくたか」となり、微妙に(^^)便利になるだろう。
小矢部からなら、在来線を使うとすれば富山まで出たほうが現実的だ。
氷見からも、(接続にもよるが)在来線2線を乗り換えて新幹線、というのは少数派だろう。

従前から分かっていたことである。
新高岡駅には、便利で比較的安い大駐車場ができる。クルマで乗り付けるという人が大多数になるに違いない。

飛行機もある。
東京の道路事情も改善されてきているので、クルマでそのまま東京に行ったっていい。
選択肢が増えただけのことである。
(私事だが、うちの家族旅行では、JRの料金は厳しい。クルマに酔う子どもたちを後部座席で寝かせて、深夜割引の高速を走っている)

高岡中心部に限っていうと、交通機関のターミナルがますます分散することになる。中心商店街の地盤沈下にも拍車がかかることだろう。

そして、関西方面は「つるぎ」を使って乗り換えても、富山県からはほぼ確実に不便になる。
県民の税金をつぎ込んで、何のための新幹線やら。

さて。
本題はそこではない。

下は、1年半前のクリスマス、夜の東京駅の写真だ。

東京駅


この夜、「プロジェクションマッピング」がある予定だったのだが、前日あまりにも人出が多く危険だということになり、イベントは中止された。単なるライトアップ写真である。
そもそも、駅を見に行くなんてのはよっぽどのことで、乗り換えはともかく、東京駅をちゃんと見るなんてこともその時が初めてだった。ほとんどの人は、東京駅に用はない。

はじめて上越新幹線で東京まで行った時も、上野-東京をえらくゆっくり走るのに驚いた。中央線方向なので、大宮から在来線に乗り換えた方が早かったのではなかろうか。

少なからず鉄道ファンという人はいるし、私だって何の目的がなくても新幹線は乗ってみたいと思う。しかし本質的には、交通機関は移動という目的を達するための手段である。

逆に考えればいい。

東京から北陸に来る人達の目的は何だ?新幹線を呼びたいといった行政や企業は、それを準備しているか。明快に語れるか。東京に発信しているか。

東京の人は、新高岡駅なんぞに用はないのだ。