去年別ブログにも書いているが、自分の中での「アートのスーパースター」が、西洋で7人、日本で7人、決まっている。好き嫌いや技能もそうだが、世の中に対する影響力のようなものも含めて、気にし続けている。
(後日注:「別ブログ」は、その後このブログと統一している)

8月14日、東京の世田谷美術館で「ボストン美術館 華麗なるジャポニスム展 印象派を魅了した日本の美」というのを見てきた。お目当ては修復なった大作、モネの「ラ・ジャポネーズ」である。モネは上記スーパースターの一人だ。展覧会のサイトから写真を拝借する。
 

ラ・ジャポネーズ
 

打ち掛けに、刀を抜こうとしている侍など、日本人からみると何やらナゾの日本趣味にあふれている。
モネがこのように直接に日本を描いた作品はほとんどこれだけで、どうもその「違和感」こそが、モネの狙ったところであるようだ。
その後の睡蓮の連作など、日本の美意識の「真髄」を取り込んでいって評価を高めたモネだが、これは「日本趣味=ジャポネズリー」を、意識的に強調した作品である。

図録の解説がそのあたりの事情をよく説明している。モネは肖像画を描かなくなって経済的に困窮しており、1876年第2回の印象派展では、展覧会の「目玉」になるよう、かつ良い値段で売れるようにと、賛否を引き起こし庶民の気を引く、意味深なこの絵を準備したに違いない。

200年年表を提案した記事で書いたように、明治維新のあった19世紀後半こそが、西ヨーロッパやアメリカで「中産階級=ブルジョワジー=都市市民」が主役となっていく時代であり、産業革命と万博の時代、「近代」のスタートだと思っている。
万博を最もうまく都市の経営に取り込んだのが、大規模な都市改造に成功したパリであろう。1855年、1867年、1878年、1889年、1900年、そして1924年と、どれも時代を画するようなイベントとして成功している。特に異国情緒と繊細さにあふれる日本からの展示は注目を集め、1867年の万博以降は、パリに「日本の物産を販売する店が激増し、輸出向けに日本で生産された品々が大量に流入した」という。
日本の美術品の収集家でもあったモネは、あえてその「流行に乗った」のである。

肖像画には、性的な比喩も取り込まれることが多い。この作品でもそういう解釈が可能で、それは価格を上げることに役立つ。

近代以降、芸術は、王侯貴族や教会が買い上げるものではなくなった。
市民の支持が、下世話な憶測が、その価格を左右する時代に入ったのだ。


ジブリの宮﨑駿の仕事について、ネットで読む機会があった。ナウシカの終わり方「死と再生」について、本人はどうでもいいと思っていたフシがある、「エンターテインメントとしてはクライマックスがなければどうにもならない」という周囲の説得で、現状のような終わり方を受け入れた、というような話だ。

プロの作家は、作品=商品である。

主義を曲げねばならないこともあれば、それゆえに評価を高めることだってある。
世はイカサマ、人生は芝居、仕事はゲーム。

そして困ったことに、この絵「ラ・ジャポネーゼ」は、私の心を捉えて離さないのである。

いろいろなことを、分かっていて、乗り越えていきたい、そんなふうに思う。


※「ボストン美術館 華麗なるジャポニズム展」は、世田谷美術館では9月15日まで。9月30日から11月30日までは京都市美術館、2015年1月2日から5月10日まで名古屋ボストン美術館にて開催。