ブログランキングがずいぶんアップしていて、たぶん「夏休みの自由研究はコレだ!」が検索にヒットしたのだろう。狙ってやったことでもあるが(^^)、世の人たちが「課題としての自由」に、いかに悩んでいるかが推測できる。
やりたいことのない人に「自由課題」など与える教育が、ひょっとしたら諸悪の元かも知れない、などと思ったりする。

昨日の「九条救助隊」の様子をアップする。家族で参加していただいた方もいて、雨の中、子どもも入れて30人にもなる「盛会」だった。顔がわからないように加工してみたが、分かる人にはわかるかも。不都合あればご連絡いただきたい。
北陸中日新聞さんと朝日新聞さんにも、取材においでいただいている。

九条救助隊

意見をランダムに並べておく。

「あらためて憲法を読むと、自衛隊そのものが憲法違反ではないかと思った子供のころを思い出す」
「憲法など読まずに生きてきた。読まずに一生を終えられるような平和な世の中であればよかったのに」
「アメリカの押し付けだという憲法だが、海外派遣も集団的自衛権も、アメリカの押し付けなのではないか」
「憲法はそもそも、国民が政府を縛るためのもの」
「戦時中の生まれで、ただひたすら戦争はいけないという思いでやってきた」
「ネットなど、若い人でも集団的自衛権が必要だという人がいて、違和感が強い。なぜだろう」

「集団的自衛権が必要だとして説明される例が、ありえないような状況ばかり」
「国際関係の現状や国際法など持ちだされているが、勇気をもって制定された憲法の精神をまるでわかっていない」
「先制攻撃でさえ、自分を守るためにということで説明される。集団的自衛権にもとづけば、すべての戦争は許されるのではないか」
「誰も戦争などしたくないはずなのに、戦争が止むことがないのはなぜだろうか。他国の戦争に心痛めていたのに、自衛隊がどんどん強くなっていくのがおそろしい」
「小選挙区のせいだろうか、自民党の地方議員が、中央にものいえないという雰囲気になってきている」
「職場や学校、家庭などでも、政治について語ることがタブーになっているのではないか」

カレー


私の言葉で書きことばになるときつくなってしまう。
今回何よりも、参加した皆さんが、静かに、自らの言葉で思いを語ってくださって、みんながそれに耳を傾けたのが素晴らしいと思った。
野次や不規則発言を手柄とする、鉄砲玉のような職業政治家にはぜひ見習ってもらいたい。

中に、「実は憲法9条は部分的には変えたほうがいいと思っている。ちょっとこの場にはそぐわないかと思って黙っていたが」とこっそり言ってくださった方がいた。そういう方にこそ発言していただきたかった。
意見を同じくする者同士でいくら語っても、状況は変わらない。九条救助隊は、九条の条文を守るというより、九条の精神を守るべき、様々な意味で窮状にある九条を、救い出すあらゆる手を探るべきだと思う。

こんな話は、顔の見えるどうし、自分の意見を本気で戦わせるしかないのかもしれない。
便利なようで、ネットやマスコミを介した議論には、誰かの意見が挟まれていて(もちろんこのブログだってそうだ)、人は自分と違う意見にはまず拒否感が先立つ。ひとは、わざわざそういうものを見聞きしには行かないものだ。

無責任・無関心という「断絶」にだけは、ノーを言い続けなければならない。
「細く長く」と言ったら、「本当は大きな動きになって成果を出すのが望ましい」と言われて、自分たちは流れに逆らっているのかもしれない、という思いを深くした。
来月、9月9日の夜にも、砺波市内で第2回の「九条救助隊」の集会をやる。

ご参加と、素材としてのご意見を、広く求める。