大阪
この春大阪に行ったとき、通天閣から、開業したばかりの「あべのハルカス」を撮った写真である。照明が写り込んでいるのはご容赦。
手前が天王寺公園(動物園など)で、中央立派な建物は大阪市立美術館。

天王寺公園は1903年の第五回内国勧業博覧会の跡地で、万国博覧会を模して行われた内国勧業博覧会の、最後にして最大のものだったという。
また、大阪市立美術館は、あの三井家の本家のあった場所で、敷地は庭園とともに大阪市に寄贈され、美術館は昭和11年開館、戦中戦後は陸軍や進駐軍に接収されている。

何でも調べてみると面白い。跡地には、風化したとはいえ、歴史が見え隠れしているものだ。

今日は8月9日、長崎の原爆の日。9つながりで、砺波の「9条の会」の人を中心に、「九条救助隊」という勉強会をやることになっている。

「歴史を風化させない」というふうにいうことがある。
建物や記念碑や、人の記憶も風化するが、歴史となるとその時点で「記録」である。記録というのは風化しないものなのではないか。
書物という意味では風化することもあるだろうが、文章や画像は複製も頒布もできる。ネットの時代なら、さらに易しい。
写真は18世紀前半から中頃に発展し、だから1851年のロンドン万博の画像も残されている。人が文字や絵にしなくても、音や動画で、様々な記録を歴史として残すことができるようになった。

風化するのは記憶であり、歴史をかえりみようとしない、人の意識の方である。
「日の下に新しきものなし」は、旧約聖書の言葉だそうである。
人間が、発見し、成長もする。一方で忘れ果てもする。
そういうあり方が、変わらない人間というものなのかもしれない。

学ばない者の愚かさを、何度でも繰り返し指摘しなければならないのが、民主主義なのだ。