言葉の揚げ足取り、言葉狩り、としか言いようのない今の日本の風潮は寒々しい。
報道機関は、「社会の公器」としての役割を自覚しているのか、はなはだ疑問である。また、国会で審議しなければならないレベルの問題であるのか、これ又同様はなはだ疑わしい。
”女性がたくさん入っている理事会、理事会は時間がかかります。”→この箇所だけ切り取って示されれば”女性差別”と受け取られかねないが、森喜朗東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会長の発言全文を読んでみれば、”女性蔑視”、”女性差別”とは思えないが。何故”女性蔑視”、”女性差別”になるのか、首を傾げてしまう。
日本人の人権意識は遅れているのだろうか?ちなみに国連等が発表している数値は以下の通りである。
●ジェンダー不平等指数(Gender Inequality Index:GII)
日本は19位/155か国(2018年/国連開発計画UNDP)→米国、英国は日本以下。
●ジェンダー・ギャップ指数(Gender Gap Index︰GGI)(男女平等格差指数とも言われる)
日本は121位/144か国(2019年/世界経済フォーラムWEF)
※「男女共同参画局」データ
2.社会において男性が優遇されている原因
○各国とも、「男女の役割分担についての社会通念・慣習・しきたりなどが根強いから」を挙げた者の割合が最も高い。
江戸時代の貝原益軒著「女大学」は現代の人権意識から見れば男女差別だ、と批判されるかもしれない。対して、幕末、外国を見分した福沢諭吉は「女大学評論」、「新女大学」等を著し女性の地位向上と男女平等の実現を目指した。
日本は男社会、男尊女卑の弊害が著しい、等言われるが、国家は、長いそれぞれの歴史の中で培われてきた固有の歴史、文化を持っている。弊害を無くすべく努力は積み重ねられればならない。しかし、現状の森会長発言騒動は度を超えた異常な様相である。
IOCは森会長の発言は「絶対的に不適切な発言であり、IOCの誓約に反する」との声明を発表した。が、
IOC「倫理規定」
A 根本原則
第1条
普遍的な倫理の根本原則を尊重することは、 オリンピズムの基盤である。
(略)
1.4 人権保護の国際条約がオリンピック競技大会での活動に適用される限り、それを尊重すること。特に以下のことを保証すること
- 人間の尊厳を尊重すること
- 人種、 肌の色、 性別、 性的指向、 言語、 宗教、 政治的またはその他の意見、国あるいは社会のルーツ、 財産、 出自、その他の身分などの理由による、 いかなる種類の差別も拒否すること
- あらゆる形態のハラスメントを拒否すること。 それには身体への、職業上の、あるいは性的なハラスメントが含まれる。さらに肉体的、 精神的な傷害を拒否すること
”ウイグル10万人不妊手術 中国強制?5年で18倍”
これは、2021年2月4日付のある新聞の見出しである。オリンピックに政治の問題は持ち込まない、とするが、しかし、米国がジェノサイド(民族大量虐殺)と認定した、中国の新疆ウィグル族に対する虐殺、強制収容所における性的暴行、漢民族教育等々の弾圧はオリンピック憲章の倫理規定に照らせば、まさに許されざる非人道的、蛮行である。にも拘らず、IOCの対中姿勢にも納得しかねるし、日本のマスメディア等の反応も森会長発言騒動に比し鈍い。
また、国会では、立憲民主党議員が森会長発言に対する抗議として白いジャケット、ポケットチーフを着用したり、白バラを付けたりと、パフォーマンスをしているが、北朝鮮に拉致された家族との「無事再会の時を願う意思表示」を意味する「ブルーリボンバッジ」を付けているか。批判、非難する相手が違うのではないか、審議案件が違うのでは、と思わざるを得ない。
来年は中国が冬のオリンピックを迎えるが、新疆ウィグル族弾圧や尖閣領海侵犯を繰り返す中国に対して日本は参加をボイコットしてもおかしくはないほどの状況であるが、その反応も鈍い。
森会長の発言騒動は、冷静に見れば冒頭で言ったように国会で取り上げるレベルの問題ではない。日本国民が問題にすべき重要案件、喫緊の課題は他にある。森会長騒動は故意に政局問題にすり替えられている様である。また、森会長発言に対するJOC、政府、都知事等の対応はそれでいいのか。何か日本社会はおかしな状況である。
----------------------------------------------------------
このブログを書いている時に、森会長が辞任の意向を明らかにした、とテレビのニュース速報が伝えた。反自民勢力は、”やったー”と欣喜扼腕していることだろう。