「泣きたいときにはシャンソン」



今なら分かる。


シャンソンは“薬”だと。





ここにあるのは、明日への力。






子供も大人も生きていれば悩む。

心疲れる。

頑張るほど疲れる。






もう、楽になってしまいたい……






だけど、だけど心を折ってしまったら、そこから一気に転がり落ちるのではないか……


下を向くのは怖い。








色々なことがあって、どうしようもなくて、でも頑張り続けたくて、楽になるのは逃げるようで……

負の中で、もがき足掻いていた私。





下を向かずに治す方法と出会えた。


心から負を吸いとり、楽にしてくれたのが、音楽。

シャンソン。




あれ以来、シャンソンは心の栄養として、私を支え続けてくれる。

薬箱として。









その一錠が彼女。


「劉玉瑛」






とにもかくにも魅せる“声”。



その音は、戦場に立つジャンヌダルクの目。

凛々しく美しい目。



ジャンヌダルクが紡ぐシャンソンは、心に力を与えてくれる。

疲れきった無数の隙間に、明日への栄養を満たしてくれる。





彼女の声そのものが好きだ。



だから、ふと、ナレーターとしての劉玉瑛を想像してみた。

歌だけでなく、きっとナレーションも魅力的だろう。

それは、聞き終わりたくない時間。




私の仕事であるゲームでお世話になるのが、声優さん。

ならば、声優としての劉玉瑛はどうだろう?


これは、ちょっと嬉しくない。




何故だろうと考えた。



シャンソンもナレーションも一人で世界を紡ぎ出す、いわば画家のようなもの。


声優は多人数で紡ぐ、登場人物そのものだ。



私は劉玉瑛の花の絵が観たいのではなく、彼女の風景を観たいのだ。

色彩の豊かさ、ディテールの細かさ、キャンパスからはみ出した空間にまで感じる世界の広がり。




情景を描くために、シャンソンを歌うために生まれてきた声。





声が声に積み重なり、私の前に情景が現れて行く。

彼女と観客の間に映し出される3D映画。




それが、私たちの心に溶けて行く。

明日も、胸を張ってがんばれる。


「劉玉瑛」という、一錠。