この小説はフィクションです、実在とは関係ありません。
「男伊達」 27
新聞を握り締めた男が、虚ろな表情で中川を見る。
「隊長、鎌田隊長ですよね? 中川です、中川上等兵です」
中川は、話しづらい口を目一杯開けて叫んだ。
「……、中川、中川上等兵か?」
ようやく理解したようだ。
「そうです、中川です。
色々お世話になりました、お元気ですか?」
中川は、当り障りのない挨拶をした。
「ワシはもう歳や、足も悪いしやっと生きてるわ」
大阪が長いせいか言葉が大阪弁だ。
「何を言われます、顔色は良いしボート場通いとは羨ましい。
ワシなんか、新聞配達で細々と生活してますんや。
どうですか、今日はボートやめて一杯飲みに行きませんか?
支払いは、ワシに任せてください」
鎌田の顔色が変わりうなずいた。
「この辺は昼間から飲めるから、便利なとこです」
自転車を置き去りにした中川が、
新今宮までタクシーを飛ばした。
「この辺は、ワシも詳しいんや。
なんせこの足やろ、以前はダンプにも乗ってたんやけど、
だんだん言う事きかんようになってな、
事故やって会社はクビや。
大阪やったら仕事がある思うたけど、
この身障者では無理や。
軍隊仲間にも声かけたけど、みんな冷たいわ。
面倒みた部下がみんなソッポ向きよる。
人間は信用できんわ」
鎌田が好き勝手なことを喋った。
「鎌田さんは、バンザイクリフを覚えておられますか?」
中川が核心に入った。
「サイパンかいな、あの当時敵に攻められて陥落寸前やった。
ワシら軍人が生きるか死ぬかで戦うてるときに、
一般人が死んで日本の名誉を守るんは当然やった。
敵の銃撃を受けるより、崖から飛び降りた方が楽やがな」
反省の色は全くない。
「それでは、軍人が生きながらえても、民間人は死ねと?」
「当然やないか、ワシらは命懸けでお国を守ってたんや。
民間人は足手まといなんや」
「軍人の食料も、戦う道具も、民間人が作ってくれたんです。
ひもじい生活をしながら、頑張ってくれたんです」
「なんや反抗的やな、民間人がナンボ頑張ってくれても、
戦争に負けたんや。
軍隊でも、ワシらが指導しても、
それに堪えられる軍人がおらんかった、ヘナチョコばっかりやった」
「すんません、ヘナチョコで」
中川が、酒を注ぎながら頭を下げた。
「おまえも大した軍人や無かったから、
無様な軍人のことはよう知ってるやろ」
「そんな事はないと思います、
みんな生きるか死ぬかで頑張ってたと思います。
その思いをくみ取らなかった上層部が悪かったんだと思います。
民間人を犠牲にして、軍人が生き延びるなんて、
人間じゃないと思うんです。
今更そんな話をしても、酒が不味(まず)くなるだけです。
景気よく飲んで戦争のことは忘れましょう。
あなたも、そう長くは無いのですから」
中川の言葉に反応した鎌田が見つめた。
「そう長うないとは、どう言う意味や?」
鎌田が噛みついた。
「人を苦しめ、他人を敬うことを知らん人間は、
仏や神からも見捨てられられます。
今からでも遅くありません、少しでもみんなに役立って、
真人間になって欲しいんです」
中川が訴えた。
「おまえ、ワシに説教する気か?
こんなとこで言い合いしたら迷惑がかかる。
ワシは、南港の倉庫で働いてるんや。
酒を買うて、ワシの寝床へ行って話し合うたらエエやないか。
寒いから、ガソリンスタンドで灯油だけは買うて行くけどな」
店を出た二人は、ガソリンスタンドに寄った。
「ワシが買ってきます、ここで待っていてください」
中川は、近くの公園で鎌田を待たせた。
「四リットル缶で、ガソリンくれますか?」
「ガソリン? 灯油と違いますの?」
スタンドの店員が訝(いぶか)った
「すぐそこで、車がエンストしたんです」
中川が、ガソリンを手に入れた。
-つづくー