この小説はフィクションです、実在とは関係ありません。
「肚 (はら)」 22
「これからも、人殺しやりますんか?」
本間の声が小さい。
「入院してる中に犯人がいてるんかもしれんが、
誰が犯人か分かって無い以上手出しができんから、
まだ恨みを晴らしたとは言えん。
御袋や妹に申し訳ない想いや。
村の井戸は使えんようになって、村には人が住んでない。
役場の温情から、山を下りた村人は、
里の村営住宅で暮らしてる。
その中に犯人がいてると確信してるんや。
ワシは、察に捕まったら死刑は間違いなしや。
それまでに敵(かたき)だけは討たなアカンのや」
敵を討つまで殺し続ける気や。
「ワシ、人を殺したこと無いから分からんけど、
どんな気持ちですんや?」
未知の領域が知りたかった。
「人殺しなんて、誰もしとうない。
ワシらかて、好きで殺したわけや無いんや。
殺さなしょうなかったんや、殺された奴に非があるんや。
敵討ちが認められとった時代やったら、
堂々としとれるけど、今の時代捕まったら死刑や」
殺しを正当化するけど、好きで殺したんや無いようや。
「本間ハンは、
敵討ちがいつまで認められとったか知ってるか?」
本間は、首をかしげた。
「明治になって敵討ちができんようになったんや。
日本で最後に敵討ちをやったんは、
明治に改元される直前の慶応四年、
福岡の秋月藩で、藩内の政治的な対立から、
御用役が惨殺された。
当時十一歳やった長男が敵討ちを誓うたんや。
時代が違う言うたらそれまでやけど、
十一歳いうたらまだ小学生や、
そんな子供が親の敵討ちを決意したんやで。
山岡鉄舟門下で腕を磨いた長男は、
明治十三年父母の恨みを晴らしたんや。
日本最後の敵討ちや。
この敵討ちには余談があって、
長男に討たれた下手人は、
維新後に、東京上等裁判所の判事に就任してたんや。
出世街道を驀進(ばくしん)してる判事やった。
実のとこ、明治六年に敵討ちの禁止令が出てたから、
裁判所は困り果てた。
まだまだ敵討ちを支持する世論が大勢で、
死罪かと思われた青年を、
情状酌量で終身禁獄の刑で処遇したんや。
それ以降明治政府は、
敵討ちの代わりになる死刑を含む刑法を、
制度化した言うわけや」
前沢が、ニヤリと本間をみた。
-つづくー