丹賀砲台から次はここも前に行って閉まってた水の子島海事資料館に来ました。
丹賀砲台が開館してたらこっちも開館しています。
ここは水ノ子島灯台の官舎になります。
両子岩の右にあるのが水ノ子島灯台でこの海岸から14kmの距離を昔は手漕ぎボートで交代で通ったとのことです。
鶴御崎から撮影した水ノ子島灯台300mmの望遠でも、この距離はこれが限界。
こちらは隣の先ノ瀬灯台。
目の前が砂浜なのでシャワーが設置されていました。
こちらが官舎跡。
官舎のトイレ
右手前は石油備蓄場で奥は平成に建てられた公民館。
明治期の灯台官舎で和洋折衷になっています。
3家族が住んでいて面白いのが中に雨戸が設置されています。
プライバシーの為なんでしょうね。
こちらはつい最近まで設置されていた水ノ子島灯台のレンズ。
LEDに変わったことでこちらに展示される事になりました。
レンズはギザギザになってるんだと思ってましたが羽みたいなガラスの集合体だったんですね。何回も灯台に行ってるのに気にもしてなかった。w
60wの裸電球だけでも凄い集光率で眩しかった~無人になってからも海上保安庁の人が拭きに行ってたと、たまたま台風被害の調査で来た海保の人に聞きました。
こちらが水ノ子島灯台模型、交代とはいえあんな島に泊まるとか怖いもんだ。
灯台の管轄も色々変わってて明治期は郵政省(当時の言い方は不明)の管轄だったんですね。
こちらはトイレ。
網走刑務所のようなひし形の窓で正面から見えないようにしていました。
最近はこんなトイレも無くなりましたね。
トイレに近い部屋は階級が低い世帯が住んでたそうです。
この空き地には地震計が設置されていて空き地の電柱から送信されています。
こちらは石油備蓄場で現在は渡り鳥館になっています。
なぜ渡り鳥館なのかと言うと明治期の灯台に鳥がぶつかってよく亡くなっていました、官舎の人が死んだ野鳥を記録して標本にしたものが残っているそうです。
現在は対岸など光が増えたお陰で灯台にぶつかって死ぬ鳥は居なくなったそうです。
官舎の石垣も素晴らしい、明治期になると石垣の技術も格段に上がりますよね。
このしょぼい神社は長宗我部神社で四国を追われてここに逃げ延びたので神社が作られています。
長宗我部と言えば四国を制圧したものの秀吉に敗れ、秀吉の配下となって島津と戦い負けてと中々の転落人生ですよね。
官舎の前から300mmで撮影、鶴御崎からの方が綺麗に撮れた。
先ノ瀬灯台。
受付のおじさんにコーヒをご馳走して貰ってから次は鶴御崎へ
鶴御崎灯台、こちらは九州最東端となります。
ここに来るのは2回目です。
前に来た時よりボロくなってた。
旧海軍望楼跡を利用して灯台が作られています。
こちらが九州最東端。
この右の螺旋階段めっちゃ怖いです。
昔はここに展示場がありました。
鶴御崎自然公園 展望ブリッジ。
太平洋戦争時代に作った防空壕や砲台の跡地ですが、駐車場から500mも歩いて登らないと駄目だったので行くのは断念しました。
灯台の駐車場から少し歩いて行く砲台跡。
豊後水道の防御の要だったので要塞化しています。
最東端を別角度で撮影。
砲台跡を見てから今回の宿泊地の別府温泉へ
振り返ってみると結構、別府温泉に泊まってたんだな。
ビジホから別府湾を撮影。
夕食はバイキング。
今回は初めて竹瓦温泉に入ってみました。
昔は200円だったのに外人向けに値上がりしてた、ゆっくり出来なかったけど昔の温泉を楽しめて良かった、小さい道後温泉みたいでした。
初日は700km以上の走行で疲れました、次の日は竹田市に行きます。